【与板陣屋】

新潟県 与板陣屋 にいがたけん よいたじんや
■与板陣屋=見学自由
■与板ふれあい交流センター
駐車場=無料駐車場      (2010.7.30現在)
住所=長岡市与板町与板甲339番地1

与板陣屋
文政6年から明治2年(1869)の版籍奉還までの46年間にわたって、 この地を治めた井伊氏の居城跡。
(左)与板城址碑。 (真ん中)陣屋跡は、ふれあい交流センターになっていて、 駐車場に左の写真の城址碑がある。
切手門(恩行寺)
与板城は、慶応4年(1868)の戊辰戦争で焼失したが、 大手門と切手門が戦火を免れた。 切手門は、明治4年(1871)の廃藩置県の年に 恩行寺に移築され、当寺の表門となった。 この門は高麗門形式で、本柱2本の柱の間に切妻屋根を かけ、控柱と門扉をつけ、主柱と控柱の間に小屋根が つき出格子がある。また鬼瓦には、与板藩主井伊家の 家紋井桁(井筒)紋が焼きこまれてある。 門は明治以後、3回にわたり修理されたが、ほぼ当時のままの 状態で保存されている。(与板町教育委員会の案内板より)
大手門(本願寺新潟別院)
与板城は、慶応4年(1868)の戊辰戦争で焼失したが、大手門と切手門が
戦火を免れた。大手門は、明治4年(1871)の廃藩置県の年に当浄土真宗
本願寺派与板別院に移築され、別院の第一の門となった。門柱を礎石の
上に直接建て、門扉は枠の中に縦に厚板を張り、鉄板を使用している。
この門は移築前には、新町から長町(家中)に抜ける旧大手の通りにあり、
厳重な虎口であった。与板別院と与板藩との関係は深く、別院の建立は、
藩主井伊直経が天保元年(1830)発願により始まったもので、その完工は
明治3年である。 (与板町教育委員会の案内板より)
本願寺新潟別院は、兼続お船ミュージアム(与板歴史民俗史料館)の横。

■与板陣屋
立派な冠木門と城址碑が立つ陣屋跡。 他は、移築門が残る。 紹介した以外の移築門を、ネットで調べて2ヶ所撮影したけれど、 自信が無いので載せないことに。折角、行ったけど。

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