さがけん いまりじょう
■伊万里城=見学自由
■伊万里城跡城山公園
駐車場=無し。
(写真)幸橋から遠景。
2013/6/20現在
住所=伊万里市松島町
この時は、伊万里駅の北側の国道204号を北へ進み、浜町信号を過ぎて、川を渡って、
国道沿いの伊万里神社の鳥居を過ぎたら、伊万里神社の駐車場がある。
道路を挟んだ反対側に、伊万里城跡城山公園の入口がある。
伊万里城は、中世(鎌倉・室町・戦国・安土桃山時代)に、 伊万里浦を治めた松浦党(まつらとう)の伊万里氏の居城とされている。 松浦党は中世に西九州を根拠地にして活躍した水軍である。 およそ800年前の鎌倉時代の初期に、松浦党の一族で伊万里氏の祖、 峯上(みねのぼる)が築城したと伝えられている。 現在は、高さ約42m、南北約270m、東西約130mの丘だが、 当時は伊万里湾に突き出した岬状の地形で、湾内を展望し、 伊万里川や白野川、脇田川の河口部を支配するのに、絶好の場所だったと思われる。 正中2年(1325)頃の伊万里氏は、伊万里浦、波多津浦、 田平町蒲田浦と青崎、佐世保市矢岳、神埼郡神埼庄の一部(元寇恩賞地)を領地とし、 五島の海夫集団を掌握しており、松浦党の有力家だった。 しかし天正4年(1576)、伊万里兵部大輔治(おさむ)の時、 佐賀の戦国大名、龍造寺隆信に攻められて、伊万里城は落城した。 北東側の陣内の丘に「鶴亀城由縁之霊」と刻まれた石碑があり、戦死者の供養碑と考えられている。 明治時代以降、伊万里城跡は城山と呼ばれて公園になったが、 第二次世界大戦中は、敵の飛行機を見張る対空監視哨(たいくうかんししょう)が置かれたこともある。 現在は、伊万里富士(腰岳)や市街地を見晴らす景勝の地、桜の名所として市民に親しまれている。 (伊万里市の案内板より)
【左】伊万里城跡城山公園入口の反対側にある伊万里神社の駐車場。
伊万里神社には、お菓子の神様の中嶋神社があるそう!
【真ん中】伊万里神社側から入口方面。
【右】滑りそうだった…(^^;)
【左】坂を登りきると到着。
【真ん中】説明板付近。
【右】お地蔵さんの横の石段を上がった所。
【左】遊具のある公園。
【真ん中】お地蔵さん横の石段とは違う石段。
【右】石段をおりた所の土塁。
【左】延命橋。
【真ん中】幸橋。
【右】幸橋の2羽の鶏。伊万里焼らしい。他に壷もあった(^^)
伊万里城 2013.6.20記
伊万里神社の駐車場(約10台駐車可)を利用して見学へ。 緩やかな坂を上がるのだけど、作業中のトラックがいて、横を通るのが大変だった(^^;) 道の端に埋められた石が、濡れてツルツルで…。でもそこを歩かないといけなくて…。 坂を登りきると、説明板の所に到着。ここは公園だし、雨がひどいので散策はせず見学終了。 でも、車に戻る頃には、ジーパンがビショビショに…(TへT) ちなみに、見学時間は約10分(往復時間を含めて)。