さがけん みまきかげのりじん
■御牧景則陣
■六助社(入口のみ)
駐車場=無し
【撮影日】2019/1/3、2018/1/4。
【左】南側からの遠景。(2019/1/3撮影)
2019/1/3現在
住所=唐津市鎮西町名護屋
この時は、名護屋城跡の北側の国道204号から北側の県道301号が左カーブになる所を直進。
道なりに進んだ右側の法光寺を過ぎて、消防水利付近が陣跡のよう。(※上記のアクセスは選択肢の1つです。)
(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つで、自分用の覚書として詳細を。)
【左】道の駅 桃山天下市にあった歴史探訪の道の案内板。7番の旗の上方。(2019/1/3撮影)
【右】(切り取り加工)名護屋城の北側の水手口跡側の国道204号から県道301号へ北上。
すぐ県道301号は左カーブになる所で、直進(県道310号方面)。(2019/1/3撮影)
【左】(切り取り加工)右上の写真の分岐を進むとすぐ右側に太閤井戸方面への道がある。
そこを過ぎて…。ちなみに、ここから太閤井戸へ見学に行った時は、徒歩で向かった。(2019/1/3撮影)
【右】左の写真を進んで…。法光寺方面への道は狭くて、初めての時は、ドキドキした(^^;)(2018/1/4撮影)
【左】法光寺方面への狭い道は続く。圧迫感があるからか、やけに狭く感じた(^^;)(2019/1/3撮影)
【右】(切り取り加工)進んで右側に法光寺。太閤秀吉お手植えの桜があるらしい。(2019/1/3撮影)
【左】法光寺の南の道を西へ。(2019/1/3撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真の民家を過ぎて。詳しくは分からないけれど、この先付近の道の両側が陣跡のよう。(2019/1/3撮影)
【切り取り加工】上記を進んで。詳しくは分からないけれど、佐賀県遺跡地図だと、この付近の道の両側からが陣跡? 前方の道の左側に見えるのが消防水利。(2019/1/3撮影)
【左】上記の写真付近の左側。(2018/1/4撮影)
【右】上記の写真を少し進んで。植木で見えないけれど、両側は畑のよう。(2018/1/4撮影)
【左】上記を進んだ先の消防水利の土塁。遺構かどうかは分からないけれど…。(2019/1/3撮影)
【真ん中】左の写真の左側。振り向いて。(2019/1/3撮影)
【右】左の写真の右奥。(2018/1/4撮影)
【左】消防水利からその先。(2018/1/4撮影)
【右】少し進んで、消防水利方面に振り返って。(2019/1/3撮影)
【左】(切り取り加工)消防水利の先。遺構かは分からないけれど、長い土塁が民家の入口付近まで続く♪ もともとここまで?それとも入口だから?(2019/1/3撮影)
【左】佐賀県遺跡地図だと、進んだ先の六助社入口の手前付近も陣跡のよう。(2019/1/3撮影)
【右】カーブミラーの左側付近が、六助社への入口。(2019/1/3撮影)
■六助社…この道を進むと「六助社」といわれるお堂がある。祭神は、歌舞伎で有名な「毛谷村六助」である。 この「毛谷村六助」は、謎めいた人物で、加藤清正の家臣「貴田孫兵衛」を名という説がある。 事実、貴田孫兵衛は実在し、文禄の役時に朝鮮国首都の漢城(現在のソウル)攻略の第一報を名護屋にもたらし、 「加藤清正十六将」の1人に数えられている。 毛谷村六助は朝鮮国オランカイでの攻防戦や蔚山城攻防戦で討死したとも、 晋州城攻略後に「官妓」であった論介(ノンゲ)によって南江にともに身を投じられ死去したともいわれているが、 遺体はこの名護屋に葬られたと伝えられ、六助社に祀られている。 また、遺髪を埋めた石が名護屋城内にあるなどの伝承が地元にある。(案内より)
※車をとめる所が無いので入口のみ。
【左】消防水利から進んで。写真中央が六助社への入口。付近の木に六助社の案内がぶら下がっていた。だから、気付いたんだけど。(2019/1/3撮影)
【右】六助社への入口から眺めて。(2018/1/4撮影)
【左】(切り取り加工)六助社の入口を過ぎて。(2019/1/3撮影)
【右】左の写真を進んで。この付近は、車1台分の狭い道でドキドキした(^^;)(2019/1/3撮影)
(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つで、自分用の覚書として詳細を。)
【左】波戸岬側から県道301号を南下、夕日ヶ大橋手前を左折。(2019/1/3撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真から県道301号を進んで。正面の木々は、陣跡の遠景かな?(2019/1/3撮影)
【2枚】陣跡の南側の県道301号から。高台上が陣跡かな?(2019/1/3撮影)
御牧景則陣 2019.1.3記
今回の目的は下からの遠景と日中の写真。でも、14時前だからから、写すと暗い所も…。 法光寺の太閤秀吉お手植えの桜も気になったけれど、今回も通り過ぎるだけ(^^;)
御牧景則陣 2018.1.4記
今回は、佐賀県遺跡地図で位置を確認してから陣跡へ。
法光寺の南側の道から向かったのだけど、道が狭くて、車中から見るだけに。
でも、遺構かどうかは分からないけれど、土塁が見ることができた(^^)
見学後、そのまま通り抜けようと進んだら、すぐ右側の道入口の木に何かの案内がぶら下がっていた。
気になって見てみると、入口から進んだ先に六助社というお堂があるという事だった。
でも、車はとめられないし、17時半過ぎで暗かったので、案内と入口を写すのみにした。
また機会があれば、県道301号から陣跡の遠景を見てみたいなぁ(^^)