さがけん なごやつねのぶじん
■名古屋経述陣
駐車場=無し
【撮影日】2019/1/3、2018/1/5、2017/8/16。
【左】県道310号との分岐の北の道の坂を上がった所。
2018/1/5現在
住所=唐津市鎮西町名護屋
この時は、名護屋大橋側から国道204号を西へ進み、右側のスーパー「まいづる9」(唐津市役所 鎮西支所を過ぎて、少し進んだ右側)へ入る道の角に標柱が立っていた。
標柱が指す道方面へ進んで、県道310号との分岐付近に案内板が立つ。分岐から北へ進んだ付近が陣跡。
(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つです。)
【左】道の駅 桃山天下市での歴史探訪の道の案内板。20番の旗の所に案内板がある。(2019/1/3撮影)
■名古屋経述(生没年未詳)肥前国名古屋領主…松浦党の波多親(はたちかし…三河守)の重臣として、この名護屋一帯を支配していた。 その居館であった垣副城(かきそえじょう)を大改造して築かれたのが、豊臣秀吉の名護屋城である。 そして、他の大名の処遇から見ても異例ではあるが、一領主にすぎなかった経述は、この地に波多氏とは別に陣屋を構えている。 文禄の役では、渡海して戦ったといわれている。なお、経述の妹(広子)は豊臣秀吉に仕え、広沢局と呼ばれていた。 秀吉の死後、山里丸に寺を建立したのが広沢寺(こうたくじ)の始まりとされる。(案内板より)
【左】写真は、道の駅 桃山天下市側から国道204号を東へ。スーパー「まいづる9」の東側の道の入口に標柱が立ち、ここを左折して案内板方面へ。(2017/8/16撮影)
【右】(切り取り加工)スーパー「まいづる9」の東側の道を北上、県道310号との分岐付近に案内板(写真右側)がある。
案内板と同じ様に遠景を写したけれど、見えてないような…?(2017/8/16撮影)
【左】名古屋経述の標柱「名古屋経述・名護屋 領主」。(2017/8/16撮影)
【右】20番の旗の所の案内板。左側が名古屋経述、右が寺沢広高。でも、名古屋陣はもう少し右奥じゃないかな?…見えてる?(2017/8/16撮影)
【左】県道310号との分岐の北の道を進んで…。凄い上り坂!(2017/8/16撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真から進んで。(2017/8/16撮影)
【左】坂を上がって、左カーブ。佐賀県遺跡地図だと、左カーブを過ぎて〜分岐の手前辺りが陣跡だったよう。ハッキリは分からないけれど、大まかに。(2018/1/5撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真の坂を上がった所から振り返って。(2017/8/16撮影)
【左】(切り取り加工)坂側から写さなかったので、分岐の手前から陣跡方面を。(2018/1/5撮影)
【右】陣跡付近の東側の斜面。(2018/1/5撮影)
【左】(切り取り加工)分岐。ちなみに、写真正面の道がアスファルトでなく整備されているので、民家に続くのでは?と不安になったけど、普通に道が続いていた。(2018/1/5撮影)
【右】分岐側から。(2018/1/5撮影)
名古屋経述陣 2018.1.5記
今回は、佐賀県遺跡地図で位置を確認してから陣跡へ。 てっきり案内板が示す辺りかと思ったら、もう少し上方のようだった。 それとも、含まれているのかな?とりあえず、陣跡付近まで来れてよかった♪
名古屋経述陣 2017.8.16記
詳しい場所を調べていない為、以前と変わらず標柱と案内板付近を。 そういえば、関係あるか分からないけれど、スーパー「まいづる9」の北側の県道310号を走行中、素敵な土塁が見る事ができた♪ (追記:結局、関係無さそうなので紹介はせず。)
名古屋経述陣 2013.6.19記
スーパーに入ろうして、「こんな所に標柱が!」と発見(笑) 矢印に従って、道を進むと案内板が♪おかげで、陣跡の位置が分かりやすかった(^^)