さがけん さなだのぶゆきじん
■真田信幸陣(※何ヶ所かあるうちの1つ)・ No.90陣
※佐賀県遺跡地図ではNo.90陣と表記され、旧名称が真田信幸陣で、標柱は真田信幸陣になっている。
駐車場=無し
【撮影日】2019/1/3、2018/1/5、2017/8/16、2013/6/19。
【左】陣跡南東側の道の入口から遠景。(2018/1/5撮影)
2019/1/3現在
住所=唐津市鎮西町野元
(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つです。)
この時は、国道204号と県道23号との名護屋城跡信号で、県道23号へ南下。
立花宗茂の標柱を過ぎて、右側の山内一豊の標柱を過ぎて、少し進んだ所の左側に隠れ気味に標柱がある。
陣跡の位置は、その標柱から北へ進んで、民家がある分岐から北側の高台方面。
あるいは、民家の分岐を過ぎ、Y字(右側が結城秀康陣)を過ぎて、左斜めの道を北へ進んだ西側。
(※位置として左斜めの道を書きましたが、地図上で見ると常時通れなさそう。)
※陣跡の位置は目安で、実際は民家の分岐から等、下から眺めたのみ。
(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つで、自分用の覚書として詳細を。)
【左】毛利輝元陣の標柱と藤堂高虎陣の標柱が立つ分岐から県道23号を南下。(2018/1/5撮影)
【右】左の写真の分岐から県道23号を進んで、左側に立花宗茂陣の標柱が立つ。(2013/6/19撮影)
【左】立花宗茂陣の標柱を過ぎて南下、カーブの所に山内一豊陣の標柱が立つ。(2013/6/19撮影)
【右】山内一豊陣の標柱を過ぎて進んだ先の分岐。東へ進むと標柱が見えない。(2018/1/5撮影)
【左】(切り取り加工)電柱のそばに真田信幸陣の標柱「真田信幸陣跡・信濃 上田」。(2017/8/16撮影)
【右】標柱側から北へ進んで…。(2018/1/5撮影)
【左&真ん中】標柱側から北へ進んだ先で、陣跡から南方の分岐。ここから北へ進んだ木々の所が陣跡?その奥?
でも、民家の方が気になったので、分岐から眺めるのみ(^^;)(2018/1/5撮影)
【右】左の写真の道を進まず、もう少し北東へ進んで。(2018/1/5撮影)
【左】(パノラマっぽく加工)民家がある分岐を過ぎたY字(結城秀康陣の所)付近から。中央から右のこんもりが陣跡かな?(2018/1/5撮影)
【右】左の写真の中央より左側に石積みが見えたけど名残?関係無し?(2018/1/5撮影)
【左】民家がある分岐を過ぎたY字(結城秀康陣の所)付近からで、左上の写真の左側。(2018/1/5撮影)
【真ん中&右】民家がある分岐を過ぎ、Y字(結城秀康陣の所)を過ぎた左斜めの道の入口(陣跡の南東)で、北へ進んだ西側が陣跡のよう。
工事中で通れないのかと思ったけど、地図で確認すると常時っぽい。(2018/1/5撮影)
【左】(切り取り加工)イカ釣り漁船越しに北側の遠景を。(2018/1/5撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真と同じ陣跡方面を。(2018/1/5撮影)
【切り取り加工】名護屋大橋をくぐっての遠景(写真右側)。(2019/1/3撮影)
真田信幸陣 ・ No.90陣 2018.1.5記
今回は、佐賀県遺跡地図で位置を確認してから陣跡へ。標柱の矢印は、この道から北へ向かうという意味で、遠景は見えないと改めて分かった。 さて、陣跡から南方の分岐まで来たけれど、陣跡の南西側の道に行くまでに民家があり、丁度住人が外にいる状態。 さすがに行き止まりの道を車で突っ込んだり、徒歩で向かうのも気が引け、眺めるだけに…。やっぱり、怪しすぎるかなと…。 結城秀康陣とのY字付近からも眺めたりしたけど、よく分からず。 南東側の道からなら気にせず見れるかと思ったら、工事中(看板には平成30年3月15日までと表記。)で通ることができず。 でも、地図で確認すると常時っぽいから、こちらからは無理なのかな? とりあえず、近くまで来れたからよかった(^^)
真田信幸陣 2013.6.19記
「電柱のそばに標柱が!」という感じで、標柱を写したけど、下調べをしていない為、「矢印は何を指してるの?状態(^^;) どうも、ここから見え無さそうな場所が陣跡らしいので、この道から向かうという意味の矢印っぽい…。 また機会があれば、もっと近付いて、遠景だけでも写したいな。