さがけん みずがえじょう
■水ヶ江城=見学自由
■中の館児童遊園
駐車場=無し
2013/6/22現在
住所=佐賀市中の館町
この時は、佐賀城を見学した後に徒歩で。赤松小学校の南側の道を東へ進み、
光円寺の北側を通り、左折れの道を進み、北上すると左側に中の館児童遊園。
龍造寺康家が築城した城で、龍造寺隆信の生誕地。 城は5つの曲輪に分かれ、堀が巡らされていた。
道沿いの説明板によると光円寺は中の館の曲輪内で、龍造寺家の重臣木下伊予守の屋敷に当たる。
【左】中の館児童遊園方面で、右折れになる反対側が入口。
【真ん中】中の館児童遊園の入口から。
【右】中の館児童遊園側からで、左の写真の逆。城跡周りだけあって、クランクになった道が多い。
■龍造寺隆信誕生地… 足利時代末期からの戦国時代に、肥前、肥後、筑前、筑後、豊前並びに壱岐、対馬を手中におさめ、 その勢威は、九州の豪族、島津、大友氏と並び五国二島の大守と仰がれた佐賀村中城主・龍造寺山城守隆信は、 享禄2年(1529)2月25日佐賀水ヶ江城で生まれた。 天文5年(1536)7歳の時、宝琳院に入って出家し、始め円月のち中納言と称した。 曾祖父・龍造寺家兼入道剛忠が93歳で老死したので、龍造寺家は柱石を失った。 それで、剛忠の遺志によって中納言は還俗山城守隆信と称して、村中龍造寺家を相続した。 龍造寺家に村中・水ヶ江の二系があり、隆信は水ヶ江に生まれ、 村中のある字となったのである。隆信が誕生地には、袍衣塚がある。(案内板より)
中の館児童遊園にある碑。
【左】入口の「龍造寺隆信の誕生地」。
【真ん中】「龍造寺隆信公碑」。
【右】「龍造寺隆信公の誕生地」。フェンスに掛けられたゴミが、どうしても写ってしまう…。
水ヶ江城 2013.6.22記
佐賀城をいろいろと散策した後なので、かなりバテ気味に向かった(^^;)
水路を見つつ、クランクの道を進むと、中の館児童遊園で、
入口に碑、公園内にど〜んと龍造寺隆信公の碑が立ち、ちんまりとした碑もあった。
ちなみに、赤松小学校の南側からの徒歩時間は約3分。
見学時間を含めて約1分。帰路は違う道なので含めず。
(写真)「中の館」が住所なので気になって♪