埼玉県 荏原氏館 |
■荏原氏館=見学自由 ■摩利支天堂 駐車場=無料駐車場 (2011.9.24現在) (左)荏原氏館跡の標柱と松尾芭蕉の句碑。 |
住所=深谷市江原(えばら) この時は、本庄駅の北側にある国道17号を南東に進み、 寿三丁目信号(県道23号、県道45号との交差点)で、 県道45号へ左折。道なりに東へ進んで、 上武道路(国道17号)の高架をくぐって、走っていくと、 右側に大きな木と赤い建物が見える。そこが館跡。 |
荏原氏館 | ||
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本館跡は、現在の摩利支天堂(まりしてんどう)の
周辺三町(約327m)に及ぶ範囲に所在し、武蔵七党の
1つ、猪俣党に属した荏原太郎が居城していたと伝えられている。
現在では、館の痕跡を見ることは出来ないが、利根川の堤防
の一部は、かつて館の土塁であり、戦国時代末期、豊臣秀吉に
よる小田原征伐の際に、忍城の水攻めのため石田三成の
指揮により、取水施設として改修されたものと伝えられている。
境内に建つ句碑は、江戸末期から明治初期に活躍した
江原出身の俳人、市川市月(玄香庵…げんこうあん)が、
明治17年(1884)に、俳聖松尾芭蕉を偲び、建立したものである。 「寒菊や 粉糠(こぬか)のかかる 臼の端」 の句が刻まれている。(深谷上杉顕彰会の案内板より) (左下)写真右側が入口。(下真ん中)駐車場。 (右下)木が目印。 |
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■荏原氏館
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