埼玉県 人見館 |
■人見館(人見氏館)=見学自由 駐車場=無し(この時は車中から)(2011.9.24現在) |
住所=深谷市人見 この時は、深谷駅の西側の県道62号を南西に進み、 浅間神社の所の信号を左折、高架をくぐって、 野球場の横を通り、小さな川を渡って次の 道(消火栓がある所)を右折、すぐ右折、 左斜めが人見館の遠景で、進んだ川手前の左側に空堀。 |
人見館 | ||
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人見館は、平安時代末期に、人見氏の館として
築かれたと伝えられる。人見氏は、武蔵七党の1つ、
猪俣党に属する河勾政経(かわわまさつね)が、この地に住んで
人見六郎と名乗ったのにはじまる。その子孫は鎌倉幕府の
御家人として活躍したが、室町時代の始め頃、人見氏は
丹波国に移った。
室町時代の中頃には、深谷上杉氏の一族の上杉憲武が、
人見氏の館跡を改修して居住した。
現在見られる堀や土塁は、この時の姿を留めているものと
思われる。憲武のその後の動向はよくわかっていない。
昭和初期の実測図を見ると、館は東西に並ぶ3つの
郭から成っていたと考えられ、その範囲は東西約300m、
南北約150mである。現在は西の郭が最もよく保存されており、
西側と北側に二重の土塁と空堀が残されている。
周辺には「政所」「元屋敷」「馬場」等の館に関連すると
思われる地名がある。また、館跡の南約500mにある
一乗寺には、人見氏の累代の墓がある。
(埼玉県教育委員会・深谷市教育委員会の案内板より・絵図も)
(右)西の郭の遠景。写真右側の道を奥へ進み、 左側の民家を過ぎた所に、空堀と土塁が見られる。 |
■人見館
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