【内藤氏陣屋】

埼玉県 内藤氏陣屋 さいたまけん ないとうしじんや 
■内藤氏陣屋(栢山陣屋)=見学自由
■栢山小学校
駐車場=駐車スペース(1台分だったかな)
                    (2011.9.23現在)
住所=久喜市菖蒲町下栢間2720番地
この時は、県道12号を南下して、 下栢山信号の手前の県道77号への信号を左折、 栢山小学校を過ぎた1本目の右側の路地へ右折。 (かなり分かりづらく、入りづらいので注意。) 小学校を沿うように進むと、説明板があって、 その前に駐車スペースがあった。 下栢山信号側からの方が分かりやすいけど、 どちらから入っても、対向車が来ると大変。

内藤氏陣屋
陣屋とは、江戸時代に代官、その他の役人などが 各任地に所有していた屋敷・役舎のことである。 内藤氏の陣屋は、栢山(かやま)小学校の敷地(約35,000u)にあたり、 当時は二重の堀を構えており、江戸時代後期とみられる 栢山村の絵図面からもその立派な造りがうかがえる。 また、内藤氏の江戸時代初期の知行地は、現在の菖蒲町の 菖蒲・新堀・小林・栢山・三箇の5ヶ所にわたって 5千石あり、幕末における菖蒲町全体の石高が約9千石で あることからも、内藤氏が菖蒲町の大半の土地を 支配していた事がわかる。現在の地に陣屋をおいたのは、 内藤四郎左衛門正成の時(1590)である。その孫、内藤 新五郎忠俊の代(1631)に改易(改易とは、武士の籍を除き、 領地や家屋敷を取り上げる罰則)を受け、以後、正成の 外孫にあたる内藤外記正重が、そのあとを継ぎ明治まで続いた。 なお、内藤氏の累代の墓石は南隣の地にある善宗寺にある。 (菖蒲町教育委員会の案内板より・絵・菖蒲城の久喜市の案内板より) (左)菖蒲城跡に移築されている内藤氏陣屋の裏門。 (右)内藤四郎左衛門正成。こちらも、菖蒲城の説明板より。

■内藤氏陣屋
凄く狭い道だったから、祝日に見学に来て良かったかも(^^;) 幸い、対向車が来なかったし(^^;)ここでは、説明板だけ だけど、菖蒲城に裏門が移築されているのは嬉しい(^^)

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