【菖蒲城】

埼玉県 菖蒲城 さいたまけん しょうぶじょう
■菖蒲城=見学自由
■菖蒲城址あやめ園
駐車場=?(この時は県道沿いの駐車スペースに
      とめた。)        (2011.9.23現在)
住所=久喜市菖蒲町新堀
この時は、県道12号と国道122号の菖蒲宮本信号を 県道12号へ南西に進み、右側の消防署を過ぎて、 右側に菖蒲城址あやめ園と門がある。 道路を挟んで、左側に駐車スペースがあり。 ちなみに、渋滞していると、車に隠れて 通り過ぎる可能性があるので注意。

本丸跡
築城の頃、辺り一面に「本菖蒲」が生い茂っていて、 これが城の名、町の名の由来と伝えられている。 (久喜市の案内板より)
(左)東屋がある所に、城址碑がある。 (真ん中)城址碑。 (右)移築門方面。菖蒲が咲いていたらきれいだろうなぁ。
内藤氏陣屋(栢山陣屋)の裏門
この門は、江戸時代この地域一帯を治めていた、 旗本内藤氏の栢山陣屋の裏門と伝えられている。 陣屋とは、領地に置いた屋敷・役所のこと。 内藤氏は、現在の栢山小学校の地を中心に、 約1万坪の広さを有する陣屋を置き、戸ヶ崎(菖蒲)・ 新堀・三箇・栢山・小林等の各村に、合わせて 5700石の領地を治めた。 内藤氏は、徳川家の大身旗本として14代に亘り 幕末まで仕えたが、中でも初代の四郎左衛門正成は、 徳川家康の重臣として、数々の戦功を立てたことから、 「徳川家康十六神将」の1人にも数えられている。 なお、内藤氏の歴代の墓所は下栢山の善宗寺にある。 明治以降、陣屋は廃止解体されたが、この門は当時 名主であった三須家に移築され、今に伝わった。 (久喜市の案内板より)
(左)菖蒲城址あやめ園の標柱。

■菖蒲城
渋滞にはまり、トラックに隠れていて、通り過ぎてしまった(^^;) あ!と気付くと、門の前に車がとまっていて、2度ビックリ! でも、戻ってきたら、いなくなっていて、一安心(^^) でも、雨が降っていたから、薄暗い写真が多くなってしまった(^^;) それにしても、これだけの菖蒲が咲いていたら、凄いだろうな!

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