しがけん よしだじょう
■吉田城=見学自由
■岡村本家(酒造)の蔵横
駐車場=岡村本家(酒造)駐車場
2007/11/23現在
住所=犬上郡豊郷町吉田
この時は、国道8号方面から県道220号を東へ進み、踏切を渡って、少し先の右斜めの道へ。
そのままずっと行くと、右側に大きな酒蔵がある。その酒蔵の路地に石碑があった。
【左】左側の蔵の横(手前)に、城址碑がある(^^)
佐々木源氏の一流、佐々木秀義の六男巌秀(いわひで)が、この地に封邑を得て、吉田氏を称した。 兄、四郎高綱は、寿永3年(1184)かの宇治川の合戦で、名馬「いけづき」を駆って先陣を争った武将である。 吉田城は、岩倉川と子増川を自然の外濠として、その水を引いた内濠をめぐらして、築城されたようである。 現在は、その内濠の大半が埋められて僅かしか残されていないうえ、城は元亀2年(1571)の宇曽川の戦いで、織田信長軍の馬蹄に踏みにじられ、焼き討ちにあって、跡形も無く焼き尽くされてしまった。 築城時の史記はおろか、落城の伝承は何1つ残されていない。 吉田氏は、子々孫々この地に地頭として生き延びたが、巌秀の9世孫の徳春(とくはる)の代に、京都嵯峨へ退隠して、角倉(すみのくら)の家祖となる。 江戸時代の豪商の角倉了以(りょうい)は、その子孫である。(碑より)
吉田城 2007.11.23記
下調べをしたはずが、違う場所の地図を出してしまっていて、どこ!?状態。しかも、どんどん暗くなるし焦る焦る(^^;) どうにか、「酒蔵だっ!」と見つけて、到着(^^)よかった、よかったと胸をなでおろした〜(笑)