静岡県 江川邸 |
■江川邸=400円(韮山郷土資料館との共通券) 開館時間=9時〜16時半(受付=16時15分まで) 休館日=毎週水曜、年末年始 駐車場=無料駐車場 (2008.2.16現在) |
住所=伊豆の国市韮山韮山1番地 この時は、 国道136号を南下し、八坂神社信号を左折し、県道133号へ。 そのまま真っすぐに進んで、県道136号へ左折(※遠回りだと思う ので、参考までに。)。 その先の信号を右折し、川を渡って大きめの道へ右折。 そのまま走って、案内板に従って、 韮山郷土資料館と江川邸の駐車場へ。 |
江川邸 | ||
---|---|---|
江川氏の遠祖・宇野氏は、大和の国に住む源氏の武士であったが、 保元の乱(1156)に参戦して敗れ、従者13人と共にこの地に逃れて、 居を定めたと伝えられる。現存の家屋の主屋は、室町時代 (1336〜1573)頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃 (1600年前後)に、修築された部分とが含まれている。 この主屋は、昭和33年(1958)に、国の重要文化財の 指定を受けた。昭和35年より文化庁、静岡県及び韮山町の協力 を得て、解体修理が行われ、文化14年(1817)に行われた 大修理以前の古い形に復元された。また、その際に茅葺だった 主屋の屋根は、現状の銅板葺きとなった。 江川氏は、徳川時代初期より幕末に至るまで、代々徳川幕府の 世襲代官を勤めた。(案内板より) | ||
桝形側の水路 | 入口 | 桝形 |
駐車場からテクテク歩いていると、 こんな水路が。昔からなのかな〜。 なんて思ったりしつつ、入口へ(^^) |
平成20年度の大河ドラマ「篤姫」で、 表門、玄関、土間が使われたらしく、 早速、TVを見てみたら、出てた!! |
江戸時代、代官が外出する際、人数を揃えるのに使われ、 幕末には、農兵の訓練場として利用されたんだとか。 |
表門(表側&裏側&のぞくと主屋) | ||
元禄9年(1696)建築の薬医門。 パンフは、表門から中を覗いて、 主屋が写ってるのに、入んなかったよ〜(・_・) | ||
きささげ | 役所跡 | 欅 |
由来は、マメ科のささげに似た細長いサヤを つけるから。北条早雲が植えたとの言い伝えが (@o@)!! | 韮山代官所の役人が、執務した建物があった場所。 現在は、梅林だけど、まだ蕾。もう少しで、 咲くんだろうな。 | 元々、せんだんの木に宿った宿り木で、 親木が枯れた後、欅だけが残って成長し、 現在の姿になったんだって。 |
主屋 | 付近の梅 | 土間の籠 |
主屋の近くに、梅がきれいに咲いてた♪ 写真では、伝わらないなぁ。 中に入るとすぐ土間で、高い位置に籠が。 | ||
土間 | 生き柱 | 棟札箱 |
約50坪の広さなんだとか。天井板が張られていないから、 スコーンと屋根裏の架構(小屋組み)が見られる! | 生えていた欅を、そのまま柱として、利用したとされる柱。 最初、怖い物かと思ったけど、歴史ある木なんだなぁ。 | 1番高い位置にある木箱に、日蓮上人直筆の曼荼羅が 棟札として納められているんだとか。 最初、どれかと…。 |
台所 | 生き柱の柱根 | 江川家の家紋 |
大量の料理は、土間のかまどで、 普段はここで調理や盛り付けをしたらしい。 | こちらにも、昭和35年に発掘された柱が。 | 徳川家康より「井の内に菊を家紋とせよ」と言われ、 五三の桐紋から、井桁に十六葉の菊紋にしたんだとか。 |
西蔵 | 南米蔵&北米蔵 | 武器庫 |
幕末頃の建築。正面から見ると将棋の駒の様な 形から、駒蔵とも(^^) | 南米蔵は、明治25年(1892)、 北米蔵は、大正8年(1919)建築されたもの。 | 幕末に作られた蔵。ポツンと 入口に置かれてるのは、米蔵壁の見本。 |
井戸 | パン祖の碑 | びらん樹(毘蘭樹) |
江川氏は、元禄年間(1688〜1703)頃まで、 江川酒と呼ばれる酒を造っていて、北条早雲や 徳川家康から美酒であるとの、お墨付きを与えられたんだそう! | 江川英龍は、天保13年(1842)頃、この韮山屋敷で パン釜を築き、兵が携行する兵糧として、パン (今日の乾パンのような物)を製造したと!凄い! | 由来は、自然に樹皮が剥がれ落ち、 赤い肌が見えることから。また、身ぐるみ剥がされた様子に なぞらえて「博打(ばくち)の木」ともいうんだとか(笑) |
裏門 | 韮山郷土史料館 | |
裏門から見た富士山は、残念ながら雲がかかってて、 老中松平定信さんと同じ様には、感動しなかった(笑) | ||
■江川邸
|
【 静岡のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |