静岡県 江尻城 |
■江尻城(別名=小芝城) ■清水江尻小学校 駐車場=無し (2007.12.7現在) |
住所=静岡市清水区江尻町 この時は、清水I.C近くの国道1号を東へ進み、 県道75号へ右折。そのまま走って、 国道1号との大手町交差点を過ぎて、 川の手前の信号(一方通行)を右折。 走って行くと、左側に小学校がある。 ちなみに、県道75号を全部走るより、他の道で 行けば良かったかなぁ…とも思った(^^;) |
江尻城 | |
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昔、この江尻小学校および中部電力清水営業所の
敷地周辺に、江尻城(小芝城)があった。
戦国時代、駿河国とを治めていた今川義元が、
永禄3年(1560)尾張国の桶狭間で、織田信長の奇襲にあい
戦死した後、永禄11年(1568)12月、甲斐国の武田信玄は、
駿河に攻め入りこの地を占領した。
翌年、信玄は東の北条氏・西の徳川氏に対抗するため、
蛇行する巴川を利用して、急いでここに城を築いた。
10年後の天正6年(1578)、城将であった穴山梅雪は、
城を大改築して、高層の楼閣を建て「観国楼(かんこくろう)」と名付け、
江尻を城下町とする本格的な城となったが、
天正10年(1582)3月、西から攻めてきた徳川家康に
降伏して、江尻城を明け渡した。
その後、家康が江戸に移るとともに、豊臣氏・徳川氏と
城将が代わったが、慶長6年(1601)城ができてから32年を
経て廃城となった。
城があったことを物語るように、本校の周辺の地名(小字名)として、
櫓・本丸・東二の丸・西二の丸・硫黄堀・薬研堀・近習小路・
桜小路・代官小路等があった。
明治42年(1909)この地を所有していた本郷町の望月健吉氏は、
小公園を造り、江尻城のあったことを記念してこの「小芝城之碑」を
建てた。大正12年(1923)小公園に工場が建設されるため、
小芝八幡宮の境内に移され、72年を経て、元あった本校の校内に、
平成7年3月に移設された。
(江尻まちづくり推進委員会の案内板より)
(左)江尻城復元図と小字名。(左下)城址碑。 (下真ん中)校内。 |
■町名の由来「二の丸町」… 二の丸の跡地は、明治の頃より、独立した自治組織があり、 城にちなみ「二の丸」と呼ばれ、現在に至っている。 また、二の丸には城の鬼門除けとして、二の丸稲荷神社が 造られ、城の名残りの石垣が江尻小学校校舎の南西に あったと、伝えられている。 |
■江尻城
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