静岡県 堀川城 |
■堀川城=見学自由 駐車場=無し(この時は路駐) (2009.3.21現在) |
住所=浜松市北区細江町気賀 この時は、浜松城を見学した後だったので、 国道257号を北上し、県道65号へ左折、 少しして葵町信号で県道261号へ右折。 都田川を渡って、北区役所方面へ2本目の路地を左折。 区役所がある左カーブになる右側に関所があって、 少し先の左側に堀川城があった。 |
堀川城 | ||
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日本中が戦乱に明け暮れていた室町時代の終わり頃、
この地方は今川氏の勢力下にあった。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、義元が戦死した後、
土地の人々はここに城砦を築き地名にちなんで堀川城と名付け、
刑部にも刑部城を築き、徳川家康の遠州侵攻に備えた。
永禄11年(1568)刑部城を落とした家康は、翌12年3月27日に、
3千の軍を率いて堀川城に攻め入った。男も女も戦える者
およそ2千人は、全て城に立て籠もって抵抗したが、みるまに
落城した。この戦いに加わった大久保彦左衛門が書いた三河
物語には「男女ともになで切りにぞしたりける。」とある。
残った人々も徹底的に捕えられ9月9日ことごとく首を打たれた。
3月27日の戦いでおよそ千人、9月9日に7百人余、当時の住民の
半数以上の犠牲者を出したと伝えられる。
(細江町教育委員会の案内板より)
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■堀川城
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