【興国寺城】

静岡県 興国寺城 しずおかけん こうこくじじょう
■興国寺城=見学無料
■穂見神社
駐車場=無料(穂見神社近く) (2006.11.26現在)
住所=沼津市根古屋
この時は、三島市から沼津市方面へ国道1号を進み、 原東町交差点を県道165号へ右折。 そのまま直進し、県道22号に突き当たって右折、 その後すぐ左折。(興国石材の所から穂見神社へ向かう。) ちなみに、県道22号を富士方面へ走るアクセスは、大きな車だと、 所々ですれ違うのが難しい道があったりするので、 少し大変。帰り道に苦労したので(笑)

興国寺城案内図 (写真をクリック→拡大)
興国寺城跡は愛鷹山の山裾が浮島沼に向かって張り出した低い尾根上に立地しており、 山の根を通る根方道(ねがたみち)と浮島沼を縦断して千本浜へ至る江道・竹田道との 分岐点に当たり、かつては伊豆・甲斐を結ぶ交通の要衝であった。 城郭の遺構を良く残しているのは古城(ふるしろ)と呼ばれるこの地域で、 浮島沼と谷戸(やと)に三方を囲まれ、深田足入(ふけたあしいり)と呼ばれる天然の 泥田堀(どろたぼり)に守られていた。 古城は土塁と空堀によって区切られた本丸、二ノ丸、三ノ丸の3曲輪からなる主郭部と 大空堀の北側に付属する外曲輪によって構成されている。 本丸北側土塁は一段高く築かれ、中央部の南面には石垣が積まれ、 上面は天守台と呼ばれる平坦部になっている。発掘調査によって2棟の 建物址が検出され、礎石が残されている。西端にも狭い平坦部が設けられ、 西櫓台と呼ばれている。本丸は四方を土塁によって囲まれ、南は空堀で区切られていた。 現在、南側土塁は崩され、空堀も埋められているが、ほぼ旧状を認めることができる。 この部分に入口が設けられており、発掘調査により土橋が検出された。 本丸の東南には土塁状に平坦部が設けられ、石火矢台と呼ばれていた。 ここからは本丸土塁の裾を通って大空堀に抜ける小道が残されている。 二ノ丸は土塁がほとんど崩されており三ノ丸との境界がはっきりしないが、 かつては土塁によって囲まれ、空堀によって区切られていた。 南側土塁中央に入口があり、桝形が設けられていた。 三ノ丸は南部を県道が横断し、宅地となっているが、南・東の土塁は部分的に残され、 ほぼその範囲を知る事が出来る。かつては東南隅に大手口の虎口が設けられており、 西北隅にも入口が設けられていた。 周囲の深田足入と呼ばれた泥田堀は、ほとんど埋められているが、所々に小さな池や 沼として残され、その面影を偲ぶ事が出来る。 (沼津市教育委員会の案内板より・絵図も)
興国寺城
興国寺城は、戦国大名北条早雲(伊勢宗瑞)が初めて城主となった城であり、 彼の旗揚げの城としても有名な城である。 早雲ははじめ伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼って 今川家に身を寄せていたが、義忠の急死後、今川家の相続争いをまとめた功績により この城を与えられ、その後伊豆国を治めていた堀越公方の内紛に乗じて足利茶々丸 を滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移り、戦国大名へと成長した。 その後、興国寺城は、駿河・甲斐・伊豆の境目に位置していたために、今川・武田・ 後北条氏の争奪戦の渦中に置かれ、城主が目まぐるしく替わった。 天文年間に今川義元が小規模な構造の城であった興国寺城を普請し、 城地を拡大した。 永禄年間には駿河に侵入した後北条氏の城となり、 武田信玄の攻撃を退けた。元亀年間の武田・後北条の同盟成立以降は武田方の城となり、 武田一門穴山梅雪(あなやまばいせつ)の持城となった。天正10年(1582)に 武田勝頼が滅亡した後、城主の曽根下野守正清が開城し、徳川方の城となり、 家康の関東移封後は豊臣秀吉の武将、中村一氏の家臣河毛重次が城主となった。 関ヶ原の合戦後には、三河三奉行の1人で「どちへんなしの三郎兵衛(さぶろべえ)」と称された、 天野三郎兵衛康景が城主となったが、康景の逐電により廃城となった。 (沼津市教育委員会の案内板より)
本丸
次の日にお祭りがあるらしく、テントがあった(^^) 右は長〜い本丸の土塁で、西櫓台方面を見上げてみた。
本丸土塁 天守台の石垣
ちょっと急な本丸土塁を上がっていくと、 天守台の石垣が♪見事な土塁に石垣があるって嬉しい(^^)
本丸土塁を上がりきって… 土塁の上を歩くのは迫力! 北曲輪側の土塁
土塁に上がって見ると凄く高さを実感! こんなに高い土塁があるって凄い(^^)
天守台&礎石
上の説明文にあるように、発掘調査によって 2棟の建物址が検出、礎石が残されている。 2棟かぁ〜。
天守台から北曲輪を見る 西櫓台跡 また戻って北曲輪へ
大空堀を挟んで北曲輪。広いな〜。 どんどん進むと突き当りが西櫓台跡。 ここを下りて大空堀へ。ドキドキ(^^)
天守台から本丸 西櫓台跡から本丸
愛車があんなに、小さい!!土塁がどんなに 凄いかがわかる(^^)しかも、長く延びた土塁も キチンと写って嬉しい♪
天守台と北曲輪の間の大空堀 北曲輪から天守台
凄い!!大空堀というだけあって、大きい&深い(^^) こちらの方が少し低いから、こんな感じに見える。
北曲輪から見た大空堀
下からも凄かったけど、上から見た方がもっといい 感じに見ることが出来る♪ 少し紅葉している木々が素敵(^^)
北曲輪 北曲輪の空堀
中途半端にアスファルトがあるのって不自然な気も。 何か意味があるのかな?そして、北曲輪の奥に進むと浅い堀。
北曲輪の端っこに行くと新幹線が♪
北曲輪の端っこまで行くと、ゴウン…と音がするので、 何?と見たら新幹線♪見逃しても少し待ってたら通ったよ(^^)
北曲輪の水濠方向は 二ノ丸東側の虎口 湿地(水堀)
土塁がこんな感じ。お茶畑が見える。 ここを下りていくと、水堀へ。って水は無いけどね(笑)
二ノ丸東側の虎口 石火矢台跡の端の土塁
下から見た虎口の土塁がこれまたいい感じ。 石火矢台は発掘中!こういう状態が見れるのも嬉しい。
石火矢場跡
裏側の二ノ丸も発掘中
二ノ丸との間の土塁になるのかな。こちらも発掘中だった。 どんなふうになるんだろうな〜。
二ノ丸
三ノ丸との区切りもわからず、テクテク。 三ノ丸付近で、水はけが悪いのか水溜りがあり、 靴を濡らしてしまった(^^;)
三ノ丸
本丸や二の丸とかと全然違い、普通の家や会社が立ち並ぶ(^^;)ちなみに、赤茶色に写る建物が興国石材。

■興国寺城
国道1号からのアクセスは、工事をしていた為、車が多かったけれど、分かりやすかった(^^) 帰りに県道22号を走ったら、少し大きめの車とすれ違いが困難な場所があったりして、とても 大変だった。初めてだから、譲った方がいい地点なんて分からないしね(^^;)だから、国道
からのアクセスがオススメ。興国石材を左折時は、道が舗装されてるんだけど、穂見神社へ 向かう辺りは道幅が狭く、進んでも大丈夫だろうか?と不安にはなったけれど、次の日の夜、 お祭が行われるテントが設置してたので、邪魔にならない程度の場所に駐車した。本丸も、 発掘するのか、ロープがはってあったりと、駐車場というべきようなものは無かった(^^;)
でも、その後、うちの車よりも奥へ駐車する車もいたので、邪魔にならなければいいのかも? 遺構はというと、本丸土塁は高く、北の丸と天守台の間の大空堀も凄くて、本当に見に来て 良かった!写真で見るのと、自分の目で見たり、上がったりするとでは迫力が違うしね(^^) 本当に感動ものだった(^^)国道から少し入った場所にこんなに残っているとは、凄いな〜。

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