静岡県 小山城 |
■吉田町展望台小山城・能満寺山公園 入館料金=大人200円 開館時間=9時〜16時半(入館は16時まで) 休館日=毎週月曜(月曜が祭日の場合、翌日) 駐車場=無料駐車場 (2004.10.10現在) |
住所=榛原郡吉田町片岡 東名高速道路吉田ICから県道34号(島田吉田線)を吉田市街方面へ、 能満寺(能満寺山公園・小山城)を目指す。右の小さな交番を過ぎて、交差点を右折。駐車場がある。 国道150号を静岡市方面からだと、片岡交差点を右折。少し走って行くと、 左に駐車場がある。どちらからも城が見える。 |
小山城 | ||
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小山城は、今川氏によって築かれた山崎の砦が土台となっていると 言われているが、その規模は不明。 今川氏没落後、大井川を境として西を徳川氏、東を武田氏が領有する事に なったが、武田軍は大井川を越えて山崎の砦に入り小山城を築いた。 一方、徳川家康は松平左近真乗に小山周辺の知行地を与えた。 その後両軍の数回にわたる攻防戦の結果、元亀元年(1570)小山城は 松平氏の領有するところとなった。 しかし元亀2年(1571)武田軍は2万5千の兵で攻め再度奪還。 小山城の本格的な築城はこれ以後といわれる。 その築城は馬場美濃守信房をもって堀、土塁を築き修築、 城主に大熊備前守長秀をあてた。 元亀3年(1572)12月、三方ヶ原の戦いで家康を追い詰めたが、 翌天正元年(1573)信玄の病没によりその子勝頼が後を継いだ。 しかし、同3年5月長篠の合戦で織田、徳川連合軍の鉄砲隊の前に 大敗し、勢力は下降線を辿る事になった。 同9年3月高天神城が徳川方に攻略されるにいたり、もはや 小山城を救う余力もなく、外地に骨をさらすより、故郷に帰ろうと 天正10年(1582)2月自ら城に火を放ち、甲州へ落ち延びたのである。 小山城は武田、徳川氏が領有した堅固な城であったが、13年間の 攻防の歴史をもってその幕を閉じた。 戦国時代の小山城は平山城であった。 城跡には三日月堀、三重堀、井戸等が残り、 落城の悲しい物語がある。 (吉田町教育委員会の案内板より) | ||
小山城 | ||
鉄筋コンクリートの3層5階建て、延べ面積約380u、 地上1、2階は史料展示室、5階の天守閣は展望台。 犬山城を模した天守閣を町のシンボルに小山城跡に築城。 (真ん中)駐車場から。 (右)入口。模擬だけど格好いい(^^) | ||
展望台から | ||
この日は町内のお祭か、歌いながら?練り歩いていた。 その声が響く、響く…。(左の写真の真ん中より右付近。) | ||
虎口(土橋) | 馬出し | 三日月堀 |
本丸の入口。狭く作られているのは、いざという時敵を 防ぐのに有効の為。(案内板より) | 人馬の出入りを敵に知られない様に 工夫して築いた土手。(案内板より) | 武田氏独特の築城による物で、 三日月の形をしているので、 三日月掘。(案内板より) |
小山城の標柱 | 大手門 | |
この辺りには、井戸等の遺構が あるけれど、見学せず(^^;) そういえば、門の真ん中に、 立入禁止の看板が。関係者用…? |
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