ちばけん さんぼんまつじんや
■三本松陣屋
■三本松公園
駐車場=三本松公園に駐車スペース
(写真)陣屋跡方面(写真奥の木々付近らしい)。
2017/4/7現在
住所=君津市大戸見三本松
この時は、千本城の見学後だったので、久留里線上総松丘駅の東側の久留里街道(国道410号)を南下。
反対車線用のトンネルの高さ制限のゲートをくぐった先の十字路を左折(戻るように)して国道410号へ。
木々で鬱蒼とした狭い道を進み、視界が開けて民家が見えてきた辺りから注意しつつ進むと、左側に三本松公園の入り口がある。
(※一瞬で通り過ぎるので注意。)
徳川幕府は姫路藩主松平大和守朝矩を前橋藩主十五万石に移封、その直後利根川の氾濫にあい居城を川越に移した。 藩主松平候は南房総主語も重視し、分領地上総の国のうち望陀市原周准の三郡八十三ヶ村一万百十石安房の国のうち長狭、平、安房、朝夷の四郡四十九ヶ村、九千八百石の統治のため陣屋を向郷の台に構築し藩政を司った。 更に文政九年(1826)陣屋を要衝の地三本松に移転、陣屋の主要役人は川越城から出仕し年貢の取り立、御山の当番、郷廻りなど重要な使命を担当した。 三本松陣屋は明治二年(1869)版籍奉還に至るまでの四十三年間川越藩政の重要拠点であった。 この間松平候は殖産財政増強に意を注ぎ、松丘地域にあっては天和年間に小坂平山台、安政年間に大戸台 蓮見台にそれぞれ小坂沢、小櫃川、蓮見沢の河水を流入し、灌漑用水を開削し、 水田開拓事業を指導施行し、現在の肥沃なる農耕地の基盤を造成した。 道路の開設も施工し名殿、利根を経て安房に通ずる御成り街道もその一つで、その一部が現存しているが、文献にはその名を留めていない 「三本松陣屋はこの地に在り」と歴史的意義のある古址を永く後世に伝えたく、三本松陣屋址記念碑建立委員会を結成し、有志の協賛浄財の寄付を仰ぎ、ゆかりの地三本松公園内に記念碑の建立を計画した。 幸に多額の志納を得、平成六年八月二十七日起工地鎮をなし、環境の整備美化を図り由緒ある遺跡に嶺風の古韻に毅然として、平成七年一月吉日を以って竣工建立する。 三本松陣屋の誇るべき史実事蹟を回顧撰文あわせて篤志協賛者芳名建碑貢献の委員氏名を刻印し、之を永世に顕彰するものである。 この建碑は地域の活性振興に寄与するものと確信する。平成七年一月吉日 (三本松公園に立つ三本松陣屋址記念碑建立委員会の碑より)
【左】稲荷神社から西側の陣屋跡方面(写真奥の木々付近らしい)。
【右】左の写真の道の分岐を。
【左】三本松公園の入口の西側。
【真ん中】三本松公園の入口から東側。この先の右側に大日堂がある。
【右】稲荷神社から三本松公園方面。
【左】三本松公園の入口。中へ入ると三本松陣屋址記念碑、伊勢讃岐参拝記念碑、満州軍の碑が立つ。
【右】三本松公園の入口を入ると駐車スペースがある。君津市のHPにも紹介されていたし、他にも車がいたので安心して駐車。
でも、入口が狭くて出入りは大変だし、方向転換も面倒だった(^^;)写真右側は、三本松陣屋址記念碑。
【左】伊勢讃岐参拝記念碑。
【真ん中】確認はしていないけど、上部に満州軍書かれた碑が立つ。
【右】三本松陣屋址記念碑。
【左】三本松陣屋址記念碑の奥へ続く道を進んで…。
【右】分岐を右に進むと、左側に大戸台土地改良区記念碑が立ち、奥の水道施設横を進んで公園最頂部へ。
【左】大戸台土地改良区記念碑。
【真ん中&右】大戸台土地改良区記念碑側から振り返って。
【左】水道施設の横を通って奥へ進むと一段高くなっていて、三本松公園の標柱と説明版、休憩所がある。
【右】土塁の様な高まりにある休憩所側から水道施設方面。
【左】三本松公園の標柱と説明版。
【真ん中&右】曇っているからか、ここの雰囲気は少し怖かった…。
■三本松公園…「三本松」の由来は、壬申の乱天武元年(672)に敗れた大友皇子が上総の国に逃れた時、 「松は千年の年を保つものなり」として「小松三本植うべし」と命じたことから呼ばれるようになったと伝えられている。 この三本松を含む松丘・亀山地区一帯は、延宝7年(1679)に久留里藩主土屋氏が領地を没収されると、前橋藩主酒井氏の領地となり、その後酒井氏転封により寛延2年(1749)に、川越藩主松平氏の領地となった。 この上総分領を支配するため酒井氏以来、向郷に陣屋が置かれていたが、文政10年(1827)に三本松に移され、以後明治維新までここが分領支配の拠点となった。 明治22年(1889)には松丘村役場が置かれ行政の中心になり、その後、公園が完成したのは大正12年(1923)のことで、開園式には千葉県知事も参席し盛大に開催された。 公園の中心部には陣屋跡の大きな石碑があり、南面の高さ100m近い崖からの眺望は素晴らしく、のんびりと景色でも楽しみながらくつろいでみたいところである。(君津市の案内板より)
【左】最頂部から下方へ。北側(だったかな?)の斜面。
【真ん中】桜が咲いていた♪
【右】最頂部がある公園の北側の大日堂。
【左】三本松公園から北西にある稲荷神社。
■大戸見(おおとみ)の神楽…大戸見の神楽は、林治太夫(りんじたゆう)の流儀といわれ、二人立ちの獅子を中心に、笛、大太鼓、小太鼓、摺り鉦(すりがね)で構成される。 この神楽は、旧松岡地区の最も代表的なもので、楽が進むにつれて、人が段々成長していく過程をを表現しているものだといわれている。 神楽の舞は、一人で歩けない幼児期を表現する「前かがり」に始まり、踊り手が御幣を持って舞う「おんべの舞」、そして「鈴の舞」、さらには少年期を表現するという「くるい」、最後に「おくり」を演じて終わる。 また、囃子には、ばかばやし、さんぎり、あまだれ、きりんばやし、ごばやしがある。 現在では、八月の第一日曜日の稲荷神社の祭礼に、神楽殿で奉納している。平成23年3月 (千葉県教育委員会・君津市教育委員会の案内板より)
【左】稲荷神社の桜。
【真ん中】稲荷神社の境内。
【右】稲荷神社付近で咲いていた紅白の枝垂れ梅♪
三本松陣屋 2017.4.7記
まずは三本松公園にある三本松陣屋址記念碑、説明版と標柱を見学。その後、稲荷神社、陣屋跡の遠景を。 見学時、分岐点の北側が陣屋跡だと思っていたけど、このページを作成中に南側付近だと知り、えっ!と思ったけど、少しでも写っていたからよかった(^^;) ちなみに見学時間は、公園、稲荷神社等ぶらぶらした時間を含めて約15分弱。