【佐貫城】

千葉県 佐貫城  ちばけん  さぬきじょう
■佐貫城(別名=亀城)
駐車場=無し            (2006.2.5現在)
住所=富津市佐貫
この時は、木更津方面から富津市へ国道127号を進み、 佐貫交差点を県道163号へ左折。左にある佐貫中学校を過ぎ、 変電所を過ぎて、少し走ると左に佐貫城の案内板がある。 車だと見落としやすいかも。駐車場が無かったので、 安全な場所に駐車して、この案内板がある所から散策した。

佐貫城
佐貫城(亀城)は、室町時代にさかのぼり、文安年間に 長尾氏、応永年間に武田氏の築城説あり、 その後、里見、武田、朝倉、加藤、大河内の諸氏城主となったと 言われる。

天正年間   内藤家長、同政長
元和年間   松平忠重
寛永年間   松平勝隆、同重治
         一時廃城
元禄年間   柳沢保明
         一時廃城

宝永7年(1710)5月、阿部正鎮、三河刈谷より移り (1万6千石)それより正興、正賀、正実、 正簡、正ロ、正身の居城たり、8代正恒の時、 明治維新によって廃城(明治4年5月)。 (阿部正保氏の案内板より)
遠景 佐貫城入口 阿部氏の紋
大手櫓門跡
案内板の裏側に見える大手櫓門。
最初、見落として分かんなかった。
看板の色が同化しちゃってるから
余計に(笑)
ちなみに、1番上の写真もここで、
石垣をメインに写したもの(^^)
三の丸
(左)大手櫓門を上がると三の丸。
(右)三の丸は段々になっていた。
(左下)三の丸の西南端の櫓台。
左上の写真の左奥部分。
(下真ん中)段々にかかる梯子。
(右下)奥へ続く道。だけど、変な
音がしたので断念した。怖いし。
二の丸
(左)どれもこれも虎口に見える(^^;) (真ん中)最近削ったって感じも無くはないなぁ。 (右)二の丸は木だらけ。
本丸に続く土橋
(左上)二の丸から本丸への土橋。
(右上)左上の写真の左側の堀♪
(左)本丸側から、振り返って(^^)
写真の右の堀が、右上の写真。
(右)土橋から二の丸と本丸の堀。

凄く素敵な土橋と堀!!
これだけで大満足(^^)
本丸虎口? 本丸 西物見へ
(左)多分、虎口になるのかな。 (真ん中)二の丸もそうだけど、木がいっぱい。 (右)写真は、西物見から本丸方面へ。
西物見
(左)足場が悪かった。 (真ん中)西物見からの景色。 (右)西物見下付近を。
この日、どこかで火事があったのか消防車のサイレンとともに、燃えた香りが漂ってた。山火事かと焦った(笑)
東物見
(左)東物見。 (真ん中)東物見からの景色。 (右)東物見への虎口?石が見られるけど、石垣の名残り?
本丸から産所谷方面へ
(左)下りていくと…。 (真ん中&右)切り開かれた堀?が。 岩壁が凄い!真ん中の写真で見ると高さがある!
産所谷 館山自動車道の工事中
(2枚=少しパノラマっぽく)冬休みにおばあちゃんちに 来ましたって感じで和む〜。 (右)かなり工事が進んでいた。

■佐貫城
2月の早朝は凄〜く寒く、三の丸なんて霜で真っ白。その為デジカメが冷え切ってしまい、 2台中、1台は使い物にならなくなった(^^;)温めればいいと気付いたのは終わってから。 それは置いといて、案内板の裏側には大手櫓門がど〜んとある。これは期待出来るぞ。 なんて思いつつ三の丸へ進むと、段々になってる!ほほぅ〜。と進んで行くと、何やら 物音がする。鳥が動いた時という感じではなくて、「ミシッ。」って大きな物が動いた 時の音。何度も聞こえてきたので、ここは進むのをやめて(怖いし)、二の丸へ散策する事にした。 虎口っぽい所が多い…なんて進んで行くと、木がいっぱい植わっている二の丸へ到着。 二の丸に向かう時、竹がしなりまくりで、通るのに大変だった(^^;)そして、 二の丸から本丸への土橋がいいっ(^w^)堀もいい感じで、見れて良かった♪ 本丸は、二の丸同様木だらけ…。ん〜。山だし、仕方ないか。と、本丸の端を沿うように 進むと展望台。(というか西物見台。)そこから戻って本丸の奥へ進むと、もう1つの物見へ。 虎口付近には石垣の名残が。そうして下りていくと、岩壁を切り取ったような道に。 これが迫力あるっ!風が少し吹くと、サラサラ…と土が落ちてくる音が(笑) 下まで折りきるともう産所谷。田んぼが広がって、おばあちゃんちにでも来たような雰囲気(笑) でも、そこからは館山自動車道が見える状態。便利になるのはいいんだけどね〜。 そんな感じで、とてもいい城跡だった♪
(写真)凄く寒くて、葉っぱからツララが出来ていた! 光が当たってキラキラきれい!

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