千葉県 関宿城 |
■千葉県立関宿城博物館=一般 200円 ※企画展・特別展はその都度料金設定 開館時間=9時〜午後16時半まで(入館は16時まで) 休館日=月曜日、年末年始(12/26〜1/4) ※月曜日が祝日又は振替休日の場合開館、翌日休館。 その他燻蒸等の為、臨時休館有り。 駐車場=無料 (2005.2.27現在) |
住所=野田市関宿三軒家143-4 茨城からは県道17号を走り利根川を渡って 標識に従って右に曲がる。 千葉からは新4号バイパスから県道26号に入り、 茨城方面へ向かい標識に従って左に曲がる。 見通しがよく分かりやすい。 |
関宿城 | |
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関宿城はおよそ長禄元年(1457)簗田(やなだ)
満助の手によって、茨城県総和町水海より現在の地に築城されたのが始まりと
云われている。当時は城といっても平屋の建物が配置されているだけであった。
簗田氏の支配は満助から持助まで六代続いていたが、関宿も戦国の動乱に
巻き込まれ、北条氏との激しい戦いの後に、ついに北条氏の手に落ちてしまう。
その後すぐ豊臣・徳川連合軍の関東攻めにあい、北条が守る関宿城は
連合軍の手に落ち、天正18年(1590)徳川家康関東入封の折、家康の実弟である
松平康元が関宿城に二万石にて入城する。以後城主は、松平、小笠原、北条、
牧野、板倉、久世、牧野久世と城主が交代したが宝永2年(1705)久世重之
以後明治に至るまで関宿は代々久世氏の治める領地となった。 明治2年(1869)藩籍奉還後、 関宿城の所管は明治政府の手に移り、 同5年にはその所管が政府から陸軍省へ移され廃城と決定され、同8年また 城の所管が陸軍省から再び政府に移動したのをきっかけに、 親藩・譜代7家23人の大名を輩出した関宿城は同年末までにすべて破却されるに至った。 現在城跡として残っているのは全体の一部で、約3分の2は、明治以後何回となく 繰り返されてきた河川改修により、堤防の下に埋もれてしまっているが、 当時の城の大きさは本丸、二の丸、三の丸部分だけでも 約6000坪あったといわれる。 (野田市教育委員会の案内板より) (左=関宿城を遠くから。右=展望室の模型。) (どちらも、2004.1.25撮影) この日(←2004.1月)は風が強く、デジカメを持つ手もぶるぶる震える・・・。 って、いつでも風が強いんだなぁ(^^;)2月に来た時も、凄かったし…。 |
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スーパー堤防から見た本丸跡と関宿城博物館&裏側から (どちらも2005.2.27) | |
今回は、スーパー堤防の上を歩いたんだけど、川からの 風が強くて、冷たくて…(TへT)右側の顔が強張った。 | 室内は『利根川・江戸川』の歴史が大型模型や、 ジオラマ等で詳しく展示&紹介。それにしても写真が青いな(笑) |
前回は、本丸跡まで砂利道を車で。 1台駐車したけど、人はいなかった。 (2004.1.25撮影) |
以前に比べて、竹がバッサリ切られていて、とても見えやすくなった。 でも、竹があってもいい感じだったんだけどな。 (真ん中=2003.3.16、右=2005.2.27撮影) |
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博物館の入口(2005.2.27)の表(2005.2.27)と裏から(2003.3.16) | ||
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ちなみに、門の上の鷹の羽の紋は、
江戸時代に関宿藩主であった久世(くぜ)氏の家紋。
天守閣部分は3層4階建て。 博物館に入ると、カッパの「かっぴー」がいる(笑) 展望室は案外こじんまりしていて、 人が多いといっぱい…。 |
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関宿城博物館休憩所 | 展望室から見た関宿橋&境大橋(どちらも2004.1.25) | |
(2005.2.27撮影) | 写ってないけど、もう少し右に本丸。 | 窓からなので反射してしまった。 |
筑波山 | 関宿にこにこ水辺公園 | |
全然違う…。桜(多分、そうだよね?)が、植えられてしまっていた。 前回の時は、サッカーしている人達が、いたりしたんだけどな〜(^^;) (左=2004.1.25、 右=2005.2.27撮影) |
鉄棒やゴリラ等の動物の置物がたくさんあったりと 親子連れには、とてもいい感じ。ほのぼの〜。 (2005.2.27撮影) | |
本丸跡にある関宿城祉石碑(2005.2.27) | ||
■関宿城(天守閣)… 近世の関宿藩は、江戸城の外城として重要視され、 松平康元(徳川家康異父弟)が天正18年(1590)に 2万石で入城以来、小笠原氏、北条氏、牧野氏、 板倉氏、久世氏と代々譜代大名が配置された。 関宿城の天守閣については、古記録に「寛文十一年 辛亥世喜宿・・・公儀御願相済富士見御櫓之形ヲ以建直ル・・・」 とあり、江戸城の富士見櫓を模して 寛文11年(1671)に再建され、明治7年(1874)頃取り壊され た。本館の天守閣は、この記録などに基づき 現在の皇居内にある富士見櫓を参考に再現したもの。 関宿城本丸跡は、現在地から約500m程南に下った 場所に僅かに残るのみで、明治以降の江戸川改修工事で、 大部分が河川の一部となっている。(案内板より) | ||
茨城県の逆井城にある関宿城門(2005.2.27) | ||
関宿城の城門と言い伝えられるこの門は、本柱が門の中心線上から前方に ずれている薬医門。関宿城は久世氏が城主を努めていたが、明治2年の廃藩置県に より久世氏は関宿知藩事となり、城も明治6年に大蔵省の所管となって廃城。 その後、建物の一部は民間に払い下げられ、残りの建物は取り壊された。 この時に払い下げされたものの1つが城門と伝えられ、町内の鶴見栄助氏宅に あったものを移築。(案内板より) |
■関宿城
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