とちぎけん わしじょう
■鷲城=見学自由
■鷲神社、小山総合公園
駐車場=小山総合公園利用(無料)
【左】鷲城遠景。(2007/6/2撮影)
2007/6/2現在
住所=小山市外城
この時は国道4号を、宇都宮方面から小山市へ南下し、小山市役所を過ぎて、少し走って小山総合公園と鷲城跡の案内板に従って右折。
少しすると小山総合公園があって、右側の駐車場へ止めて、歩いて鷲城跡へ行った。
【左】地図は、南方向を上にして書かれている。(2007/6/2撮影)
【右】城址碑。(2007/6/2撮影)
康暦2年(1380)から永徳元年(1382)にかけて小山氏10代の義政は、3次にわたって関東公方(足利将軍家の分家)足利氏満の軍勢と戦った。「小山義政の乱」と言う。 この乱の原因は、勢力を拡大した小山義政を抑圧しようとする氏満の策謀があったとされ、その指令を受けた関東各地の武士達が、小山に攻め寄せた。 最初の蜂起で館(神鳥谷の曲輪か)を攻められた義政は、二度目の蜂起となる康暦3年には、鷲城に立て籠もって戦った。しかし義政は結局破れ、その翌年粕尾で自殺した。 鷲城は思川や谷地・低湿地に囲まれた要害で、東西約400m、南北約600mで、中城と外城との2つの郭からなり、当時としては広大な城郭だった。 中城の空堀・土塁が明瞭に残存し、鷲城の名の由来となった鷲神社が鎮座している。 南北朝時代の城郭がこれほどよく遺存し、関連する文献資料が多数伝来しているのは極めて稀な例で、貴重な史跡と言える。(小山市教育委員会の案内板より)
【左&真ん中】小山総合公園から鷲城跡へ。まず、素敵な空堀と土塁がある(^^)(2007/6/2撮影)
【右】虎口は、真ん中の写真の先から振り返ったもの。(2007/6/2撮影)
【左】中城。(2007/6/2撮影)
【真ん中】「横矢」は違う場所で、祠が置かれている場所が櫓台だとか…?(2007/6/2撮影)
【右】堀跡も草で分かりづらいな…。(2007/6/2撮影)
【左】鷲神社入口付近に、ひっそりと「虎口」の文字が。(2007/6/2撮影)
【真ん中&右】植えられていた花が凄くきれいだったな〜(^^)(2007/6/2撮影)
【左】木が生い茂っているから櫓台跡方面で(^^;)(2007/6/2撮影)
【真ん中&右】テクテクと外城を歩き、標示を見つけて木々へ入ると深い堀が!(2007/6/2撮影)
【左&真ん中】もっと進んでいくと、苦労せずとも空堀が見ることが出来た(笑)(2007/6/2撮影)
【右】土塁の切れ目が虎口っぽいけど、どうなのかな?(2007/6/2撮影)
鷲城 2007.6.2記
小山総合公園に車を止めて、その奥の鷲城跡へ。すぐ土塁と空堀が見ることが出来る♪ 他にも、虎口の標示があったり親切なんだけど、「?」っていうものも(^^;) でも、素敵な空堀が見られただけでも、十分満足出来た(^^)