和歌山県 龍松山城 |
■龍松山城=見学自由 駐車場=無料駐車場 (2009.7.31現在) |
住所=西牟婁郡上富田町市ノ瀬 この時は、国道42号を北上し、岩崎信号で国道311号 へ右折。県道35号との信号を過ぎて、稲葉根トンネルを過ぎて、 少しして左側に大きな案内が立っているので、そちらへ。 道なりに狭い山道を進む。時々、切り返しが必要な所が数ヶ所あるので、 注意。 |
龍松山城 | ||
---|---|---|
龍松山城跡は、山頂(標高123m。120m?)にあり、
山本氏の城跡である。城の名は、二の丸にあった竜が寝たような
姿の巨大な老松に由来し、築城は天文年間(1532〜55)といわれている。
城の規模は、「紀伊続風土記」によれば、
本丸東西約80m、
南北約51m、堀約291m、堀幅約9m、東北に井戸があり、また
馬井戸もあったことが知られ、現在、本丸と二の丸、
堀切、井戸跡の遺構が残っている。
石垣の大部分は、明治の大洪水で決壊した富田川堤防の復旧に
使われた。
天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めで、杉若越後守を大将に
この山城に再三来攻、山本主膳守康忠は固守して降らず、
天正14年(1586)9月、山本康忠はついに和議に応じ登城、紀和の国境、
真土峠の藤堂高虎の館において謀殺された。(市ノ瀬史跡保存顕彰会の案内板より)
(右)国道から龍松山城へ向かう道に立っている案内。 日本城郭大系によると、興禅寺の古文書に「辰巻城」と記されて いるらしいけど、この古文書以外、辰巻城という証拠になる 文献はみられないんだとか。いつか変わったりするのかな? |
||
二の丸下の空堀 | 空堀と二の丸の虎口(上) | 二の丸の虎口 |
二の丸へ向かう途中の空堀。 帰り際に写したので、蜂に追われて車を 下りることができなかった…(T_T) | ||
二の丸 | ||
(左)車をとめたはいいけど、蜂が凄い勢いで車に向かってきた! (真ん中)本丸側から。 (右)二の丸の土塁&石垣。 | ||
二の丸から | ||
(左)少し離れると蜂が来なかったので、のんびり眺めた。 (真ん中&右)本丸の土塁を。高さがある本丸の土塁。 | ||
本丸虎口 | ||
(左)二の丸側から少しだけ坂を上がると、すぐ本丸。 (真ん中&右)本丸側から。両側とも土塁が残っていた(^^) | ||
本丸 | ||
(左&真ん中)本丸も、草は凄いわ、蜂の羽音も凄いわで、 奥へは入らず(^^;) (右)虎口付近から下を覗いて。 | ||
■龍松山城
|
【 和歌山のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |