和歌山県 新宮周防守屋敷 |
■新宮周防守屋敷=見学自由 ■本廣寺 駐車場=参拝者駐車場 (2009.8.1現在) |
住所=新宮市別当屋敷町 この時は、国道42号を速玉大社前信号から南下して、 大橋通り四信号を右折。 左へ行くことができる路地へ左折。 右側に本廣寺があって、少し先に参拝者用の 駐車場がある。 |
新宮周防守屋敷 | ||
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南北朝中期以来、熊野別当にかわって熊野を統治した
七人衆(七上綱…しちじょうこう)のひとり周防守行栄(ゆきひで)の屋敷跡。
行栄は丹鶴姫の弟・新宮十郎行家(ゆきいえ)の子孫といわれ、
天正19年(1591)新たに勢力を得た堀内氏善(うじよし)に同心せず
討たれたといわれる。 ■新宮城主・水野家菩提寺… 日蓮宗恵雲山本廣寺は、開山(1596)当初法華寺を名乗っていたが、 延宝6年(1678)新宮城主3代の水野重上(しげたか)侯がこの寺を 菩提寺とした時、父重良の法号・本廣院をとって寺号とし、 母の法号・恵雲院を山号として恵雲山本廣寺と改めた。 位牌堂の中心には水野家歴代主・夫人及び親族の位牌を 祀っている。また、この寺には水野家所縁の品として、 現在では製作が困難といわれる精巧緻密な工芸技術による 水野家定紋「沢瀉(おもだか)」の入った経机や、 茶道江戸千家の流祖川上不白が5代水野忠昭侯より拝領した 定紋入りの飯器などを所蔵し、境内には千穂ケ峰から流れる 滝を借景とし、新宮城から移された様々な石を巧みに配置した 庭園がある。 |
■新宮周防守屋敷
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