【旧酒田灯台】

山形県 旧酒田灯台 やまがたけん きゅうさかたとうだい
■旧酒田灯台(日和山六角灯台)=見学自由
■日和山公園
駐車場=無料駐車場       (2006.7.30現在)
住所=酒田市南新町
この時は、海沿いの国道112号を鶴岡市方面から 酒田市へ北上〜県道42号〜日和山公園。

(旧)酒田灯台
この灯台は、木造六角洋式灯台で明治28年(1895)10月20日に最上川左岸 河口に竣工した。棟梁は佐藤泰太郎といわれている。 その後対岸に移され、昭和33年(1958)高砂に近代灯台が完成すると共に、 町内会連合会の熱意によりこの地へ移築保存された。 この灯台の光源は、当初石油ランプであったが、大正8年(1919)アセチレンガス 明暗紅光に改良され、さらに大正14年(1925)電化された。 明治の木造建築では日本最古の灯台である。 (高さ=12.83m・周囲=18.45m)(酒田市教育委員会の案内板より)
(真ん中)千石船&(旧)酒田灯台。 (右)展望台から。いろいろな船が見える。晴天は本当に気持ちいい♪
千石船(日和丸)
河村瑞賢により西廻り航路が開発された寛文12年(1672)から、 出羽の国の幕府米を、酒田港から江戸に回漕するために活躍したのが 千石船。江戸時代、日本海沿岸の廻航船を北前船又は弁才船と 呼んだが、千石船は文字通り、米を千石(150トン)積めるという意味で 荒波に耐える為ドングリ型となっている。 当時の酒田港には、横帆一枚、十数人の乗組員で、西廻り航路 八百海里の荒波を往来した千石船などが、毎日数多く入港して賑わいを極めた。 この船の大きさは原型のおよそ二分の一であるが、現存する模型では、 国内最大のものである。(案内板より)   1/2とは言え、凄く立派な船(^^)公園の顔かな?
文学の散歩道
酒田市には今から1100年前の平安時代・出羽の国府が置かれ現在の 山形秋田両県の政治、経済、文化の中心であったと推定される。 室町時代、すでに酒田港には36人衆と称する豪商達が海船を諸国に走らせ、 早くから京都文化を受け入れていた。とくに寛文12年(1672)河村瑞賢 が幕命により、西廻り航路を開発してから日本海有数の港として繁栄した。 日本海に沈む夕陽、秀峰鳥海山、日本三大急流の最上川、景勝を誇る 酒田には、芭蕉をはじめ多くの文人墨客が足をとどめ、すぐれた文芸作品を残している。 酒田市では市制50周年記念事業の1つとして、日和山公園を整備するに当り、 来遊文人の文学碑を建立し、「文学の散歩道」をつくり、往時を偲び後世に伝えようと するものである。(酒田市の案内板より)

■旧酒田灯台
ほのぼのした公園にある旧酒田灯台。とは言っても、 隠居しているけどね(^^) いろいろと、コンクリや煉瓦の灯台を見ているから、 木造は凄く疲れているように見えちゃう。 でも、昔、頑張ってきて、ここで休んでいる姿を見る事が 出来るって、実は凄い事なんだよね(^^)

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