トロとまったり・tripのページ(巌流島)

山口県 巌流島

やまぐちけん がんりゅうじま

■巌流島(船島)
駐車場=近辺の有料駐車場

2008/8/14現在

住所=下関市彦島船島
国道9号を西へ進み、関門橋をくぐって赤間神宮をすぎて、 少し先の唐戸市場やカモンワーフ(他、観光スポットがたくさんある。) 付近の有料駐車場を利用。

巌流島

【左】パノラマっぽく加工。気持ちのいい景色。

正式名称は、船島である。 島の面積は埋め立て部分を含めると、103,000uの広さである。 慶長17年(1612)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことは、あまりにも有名である。 「二天記」によると、巳の刻(午前10時)武蔵が到着。 待ちくたびれた小次郎との間で、決闘が始まった。 武蔵の木刀は振り下ろされ、頭上を打った。 小次郎もまた太刀を払ったが、武蔵の木刀は小次郎の脇腹に振り下ろされ、勝敗は決した。 勝った武蔵も相当慌てていたらしく、とどめをさすのも忘れ、船に飛び乗ったということである。 負けた小次郎の流派にちなんで、巌流島と呼ばれるようになった。(案内板より)

佐々木小次郎・宮本武蔵

■佐々木小次郎…周防国岩国とも福井県足羽の生まれとも、とにかく出自、生年等殆どが謎に包まれている。 中条流を学び、剣の腕を磨いた剣の天才であった。 自ら厳流という流派を興し、刃渡り90cm以上もある長刀を操り、小倉藩の指南役に抜擢される。 頭上から一気に振り下ろし、剣先を翻して下から切る「燕返し」をもって巌流島(舟島)にて武蔵と対決。

■宮本武蔵… 生まれは、兵庫県とも岡山県英田郡宮本村ともいわれている。 生涯を剣術探求に捧げ、生み出した兵法が、大刀を右手に小刀を左手に持ち、自在に操る二天一流である。 僅か13歳にして初めての仕合をかわきりに、吉岡一門との仕合、大阪冬・夏の陣の激戦も経験。 小次郎との「巌流島の決闘」など、多くの仕合に勝ってきたが、殆どが撲殺だともいわれている。(案内板より)

巌流島・船着場
案内板
船とカモンワーフ

カモンワーフ等、近辺には見所がたくさんある唐戸の船着場。
【左】宮本武蔵と佐々木小次郎のイラストが格好いい。この形は船島を表しているのかな?
【真ん中】なんだか不思議な看板(^^;)

海響館
海峡ゆめタワー
船から巌流島

【左】イルカショーを見ている沢山の観客が見えた!不思議な感じ(笑)
【真ん中】写真奥に見えるのが、海峡ゆめタワー。手前はコンテナターミナル。
【右】10分で到着!

ようこそ巌流島へ
下関方面と桟橋
佐々木巌流之碑

【左】昭和48年まで人が住んでいた巌流島。今は、タヌキが住んでいるんだとか(^^)
【右】明治43年(1910)に船島の開墾工事が完了した記念に建てられた碑。

人工海浜と再現された舟
巌流島文学碑
碑文

【左】決闘の場所をイメージして作られた砂浜。ポツンと見られるのは、武蔵が乗ってきた舟を再現しているんだとか。
【真ん中&右】船の形!正面には関門橋が♪

展望広場
巌流島の説明板
多目的広場

展望広場に、小次郎と武蔵の像と説明板が、ド〜ンと置かれていた(^^) 他は、これと言って何も無い状態。

北九州・門司方面

【パノラマっぽく加工】 左端に、関門橋、その右側が門司港レトロで、ピョコッと出ているのが、門司港レトロハイマート。

巌流島 2008.8.14記

昔から気になっていた巌流島!小次郎と武蔵の決闘地となると、島に何も無くともワクワクした(^^) 下関の唐戸の巌流島連絡線乗り場から巌流島へ。この乗り場、浮いてるから、フワフワしてて 足元がおぼつかず、フラフラ(^^;)進行方向の右側の真ん中辺りに座って、船が動き出すのを待っている時、 揺れる揺れる!酔いそうに(@@;)でも、動き出すと大丈夫だったけど。 船内から、普段見られない景色を眺めていると、約10分でアッと言う間に到着〜(^^) この時は、トレジャーハンティング(巌流島宝探し)というイベントが行われていたので、散策ついでに参加。 さて、ここには小次郎と武蔵の像以外に、佐々木巌流之碑と文学碑があって、休憩所には 2人の説明があったりする。そして、遮る物が無いから、とっても眺めがいい♪曇りがちな天気だったけど、 夏真っ盛りにはかえって、助かった(^^;)それでも、蒸し暑くて仕方が無かったから(^^;) 乗船する前に飲み物を買ってて、本当に良かった〜。ちなみに、船が来るまでに満喫し終わってしまう(笑) それは皆同じらしく、船乗り場で並ぶのが早い、早い(笑)次に来た船は、立ち乗りもいるほど ギュウギュウ!時間帯によっては、凄い人なんだなぁ〜なんてビックリ(^^;)その後、 トレジャーハンティングの続きをしたら、お宝(←笑)を貰って、巌流島の見学は大満足で終了♪

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