やまぐちけん いちのいでじょう
■一の井手城
■興元寺
駐車場=無料駐車場
(写真)興元寺の駐車場からの遠景。
2014/12/29現在
住所=周南市徳山
この時は、国道2号と国道315号との三田川交差点で、国道315号へ。
山陽自動車道の高架手前の信号を右折。その先を左折すると、右側に興元寺。
中世の徳山は野上庄といわれ、しばらくの間、陶氏がこの地方を治めていた。 14世紀になると、陶弘政の有力な家人である野上氏が配置され、陶氏の重臣として活躍したという。 弘治元年(1555)10月、陶晴賢の厳島での敗死に端を発し、陶氏が滅ぶと野上氏も運命を共にした。 野上氏が滅ぶと杉元相(もとすけ)がかわって野上を支配した。 大内氏に仕え勘解由判官と称し興元寺を建立したが、その子元宣は天正17年(1589)3月、野上庄沖で横死し、 杉氏はわずか20数年で断絶した。興元寺には元相、元宣父子の墓所がある。 (周南市徳山動物園の駐車場の杉家屋敷跡に立つ周南市教育委員会の案内板より)
【左】興元寺の案内板。背後に見えるのが興元寺。
【真ん中】興元寺の駐車場。
【右】駐車場から一の井手城の遠景を。山陽自動車道の金剛山トンネル付近。
興元寺は、陶氏の後に野上庄を領有した杉元相(もとすけ)が天正2年(1574)に、 菩提寺として創建したものである。元相は、大内氏の家臣で後に毛利氏の配下として諸所に軍功を立て、 その嫡子元宣(もとのぶ)も野上庄に住み毛利輝元に仕えたが、天正17年(1589)、不慮の死を遂げたといわれている。 杉元相父子の墓所は、境内北側の墓地にあり、宝篋印塔二基が祀られている。 昭和51年に指定文化財(史跡)に指定された。また、同寺境内のイチョウは、 市内最大のイチョウの雌木で、二箇所から「ちち」といわれる気根が垂れている。 この木は、県内でも巨樹に属する貴重なもので、平成6年に市指定文化財(天然記念物)に指定された。 (周南市教育委員会の案内板より)
一の井手城 2014.12.29記
これから山陽自動車道の金剛山トンネルを走る時は、気にしてみよう(^^)