やまぐちけん かつやまごてん
■勝山御殿=見学自由
駐車場=無料駐車場
※ここでは、2006/8/15と2008/1/1の写真を利用。
(写真)2008/1/1撮影したもの。
2008/1/1現在
住所=下関市田倉御殿町
国道2号を下関方面進み、印内交差点で国道2号へ右折。
長府トンネル手前の信号の滑石交差点を、県道247号へ右折。
そのまま進んで行くと、右に奥まった感じでセブンイレブンが見える、御殿町バス停近くの信号を右折する。
そのまま真っすぐに進んで行くと、石垣が見えてくる。そこが勝山御殿跡。
長府毛利氏の御殿(治所)は、現在の豊浦高校の所にあった。 新しい時代が始まろうとする境目に、突然、田倉「四王司山」南麓のこの土地は歴史の表舞台に登場する。 文久3年(1863)5月10日を期限とする「夷敵打払令」を守った長州藩は、早速に関門海峡でアメリカ商船を砲撃する。 第4次までに順調に運んだ。しかし、6月5日のフランス軍艦の襲来は実に厳しく、 激しい砲撃を加えられるだけではなく、前田砲台は占領され前田集落は大きな被災を被った。 毛利元周は、海岸に近い串崎城が危険な為、長府藩の中心をどこに移すかで、最終的にこの地が選ばれ、 同じ年の7月25日、大急ぎで造り始め、翌年の2月1日には藩主以下の中心となる者が、この館に移転した。 現在、残っている石垣は、上下2段の構えになっていて、石畳、御座の門、大書院室、御寝所など、60余りの部屋を持つ御殿があった。 (ふるさと勝山のあすをつくろう会の案内板より)
【左】中段表門。下から全体的に撮ったもので、石垣が見える部分が中段表門。
【真ん中&右】中段には3箇所の虎口があって、「西門」「表門」「東門」があるそうだ。東、ちゃんと見なかったなぁ。
【パノラマっぽく加工】 中段表門を無理やりパノラマに(笑)石垣は、「落とし積み」技法が用いられているとか。(2008/1/1撮影)
【左&真ん中】上段の西門。2枚で少しパノラマっぽく。上段の唯一の虎口がここだとか。それにしても素敵な石垣♪
【右】中段は藩庁部分。
【左】上段の石垣。草にまみれてるけど素敵(^^)
【真ん中】中段と上段を分ける石垣。中段と上段は廊下によって結ばれていたとか。
最上段は藩主の居館部分。そういえば、巨大な石があるから石碑?と思ったらただの石だった…。
勝山御殿 2回目…2008.1.1記
雨だか雪だか降りだして、寒い寒い!ゆっくり味わう余裕が無い! 欲しいアングルだけ写して、即退散。草がなくていいんだけどなぁ。
勝山御殿 1回目…2006.8.15記
この時は、だんにゃと2人でお腹の調子がすこぶる悪く、ゆっくり見る余裕が無くて、後から思えばもう少し写真を写せば良かった(^^;)
次はもう少し味わって見て回ろう(^^)
(写真=一心不動参道)
※現地案内板だけでは厳しいので、
「歴史群像シリーズよみがえる日本の城6」(学研)を参考にしました。