トロとまったり・tripのページ(右田ヶ岳城)

山口県 右田ヶ岳城

やまぐちけん みぎたがたけじょう

■右田ヶ岳城
■右田ヶ岳
■天徳寺
駐車場=無料駐車場(数ヶ所あり)
(写真)天徳寺入口の看板が立つ臨時駐車場から。

2016/1/6現在

住所=防府市下右田
この時は、国道262号沿いの勝坂砲台跡を見学したので、 勝坂砲台跡の南側の道を南下、山陽新幹線の下をくぐって信号のある交差点で左折、 山陽新幹線をくぐって少し先の信号で、左側にある天徳寺入口の看板の所の右田ヶ岳登山者用の臨時駐車場を利用した。 その後、天徳寺の案内に従って向かった。(※覚え書きなので、最短のアクセスとは違います。)

右田ヶ岳城

右田氏による築城と伝えられる。

臨時駐車場・天徳寺入口側

※この時は、右田小学校が工事中だったので、参道の看板で紹介されている小学校南側の臨時駐車場が使用できなかった(^^;)
【左&真ん中】天徳寺入口の看板の所にある右田ヶ岳登山者用の臨時駐車場。 意外と多くて、来た時は満車だった(^^;)その後、1台空いたのでとめられたけど…。
【右】駐車場から右田ヶ岳がよく見える。城跡は一番目立つコブの背後らしい。

天徳寺・参道

【左】天徳寺入口で、写真左側が参道。隣は右田小学校。
【真ん中】左の写真の反対側。天徳寺の大きな石碑がある。それにしても長い参道。
【右】登山者は右田小学校の屋外トイレが使用できるんだそう!なんて親切(^^)

天徳寺

■禅 曹洞宗 萬年山天徳寺由緒… 建久3年(1192)源頼朝が鎌倉幕府源氏一門の興隆安泰祈願の寺として、釈迦牟尼仏を本尊に、この地に総受寺を開創したと伝えられる。 ジ来世代の変遷に浮沈を重ねたが、寛永2年(1625)源氏の末裔毛利元倶公(もととも)は総受寺に帰依し、 七堂伽藍の再整備を行い、父元政公を中興開基にまつり寺号を天徳寺と改めた。 しかし悲運な明治3年(1870)の災兵火で全伽藍古文書のすべてを焼失したが、 多々良、右田両毛利家をはじめ多数檀信徒の喜捨により、別格地として再興し現在に至っている。 本堂には本尊釈迦牟尼仏の他、周防第25番札所観世音菩薩、延命大地蔵菩薩、水子地蔵尊が勧請され、 裏石船山は33体の観音石仏霊場で、ハイキングコースになっている。 境内地には山門内に総受寺開創記念と伝えられる公孫樹(いちょう)と枯損木の白檀、 聖観世音菩薩銅像、毛利家墓所、郷土の先覚者大田稲香、今川岳南両先生の墓碑頌徳碑がある。(案内板より)

天徳寺と右田ヶ岳。こちら側からは石船山が見えるだけなので、その背後の城跡が見えない…。

天徳寺・公孫樹(いちょう)

【左】山門を入ってすぐの公孫樹(いちょう)。写真右奥に頼朝塚があるけれど写さず。
【真ん中】見上げて。ワシャワシャと枝が広がっている。
【右】イチョウの全体を。秋はきれいなんだろうなぁ(^^)

天徳寺・登山道

【左】境内奥が登山道入り口。「右田ヶ岳 標高:426m 登山道」の案内板と右田ヶ岳の案内板が立つ。
【真ん中】消えかかった案内板。とりあえず、見える部分を表記(^^;)天徳寺の文字の上部がゴツゴツした印象の石船山。
【右】登山道。今回は登る気はないので写すだけ…。

勝坂砲台の所・登山道

※国道262号沿いの勝坂砲台の所にも登山道入り口がある。
【左】国道262号を走行中に撮影。
【真ん中】右田ヶ岳登山者用の駐車場。
【右】駐車場から北へ50m進んだ勝坂砲台の所の登山口。

遠景

【左】(切り取り加工)天徳寺入口の看板が立つ臨時駐車場から天徳寺方面へ向かう道中からの右田ヶ岳。 ゴツゴツした岩場の石船山の左側の西峰が城跡だそう。
【右】国道2号を西へ進み、佐波川を渡って少し進んだ所から。独特な形だからよく分かる(^^)

右田ヶ岳城 2016.1.6記

下調べをしていた小学校の南側の駐車場が使えなくて、天徳寺の入口の看板の所の駐車場へ。 でも満車で、少し待ってからの駐車。意外と利用者が多くてビックリ。 天徳寺では、参道にあるはずの城跡の説明板が無くなってた!新しく設置しないのかな? でも、境内の消えかけた案内板に、城跡の表記があったからよかったけど(^^;) 登る気はなかったので、遠景を写して見学終了。 ちなみに見学時間は、境内をウロウロ+車をとめる時間を含めて約20分。

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