やまぐちけん ながやまじょう
■長山城=見学自由
■亀山公園
駐車場=無料駐車場(数台)
2014/8/31現在
住所=山口市亀山町
この時は、国道9号を県庁方面へ進み、県庁前信号で県道203号へ。
1本目の博物館前信号を右折。左斜めに入る道を進んで亀山公園へ。
築城年代は不明。毛利氏が築いた城だといわれている。
【左】駐車場側から来た道を。緑がきれい。
【真ん中】数台分の駐車場。駐車場の奥には、大内義長の裁許状の碑や国木田独歩の詩碑が立つ。
【右】駐車場側には、高くて石が転がる荒々しい斜面が見られて不思議な感じ。
【左】亀山公園の碑。
【真ん中&右】駐車場正面の階段。結構な高さがある。
【左&真ん中】公園内には大きな毛利経親公之像が立っている。
【右】奥に見える山が高嶺城。
【左】木々がたくさん植えられている公園。
【真ん中】高嶺城の案内板が立っていた。
【右】松上雪が書かれた歌碑。
大内氏が富を増した教弘の時代(1490年頃)、今の八坂神社の地に築山館を建てた。 人々はこれを築山御殿と呼んだ。また、龍福寺の地には大内館があり、 歴代大内氏はここで政務をとり、西日本の政治の中心となった。 大内義隆滅亡後、毛利隆元は義隆の菩提を弔う為龍福寺を建立した。(案内板より)
【左】左の山の右裾に見える五重塔。木で隠れ気味だけど…。
瑠璃光寺五重塔は足利幕府と戦い泉州堺に倒れた大内義弘の菩提を弔う為に 室町時代に建てられた塔である。山口のシンボルとして大内文化を優雅に伝えている。(案内板より)
フランシスコ・ザビエルが山口の地を訪れキリスト教の布教活動を始め、 1552年12月24日に宣教師らが賛美歌を歌って祝ったことが日本のクリスマスの発祥であるとの史実をもとに、 山口商工会議所青年部では「日本のクリスマスは山口から」を合言葉に様々な事業に取り組んできた。 このモミの木は、ザビエルの故郷スペイン・ナバラ州政府より日本のクリスマス発祥の地が山口市であるという認定 (2006年10月)をいただいたことと、山口商工会議所が創立100周年を迎えたことを記念し、 この地に植樹したものである。(山口商工会議所・山口商工会議所青年部の案内より)
独特な字体だった。
大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当たっていたフランシスコ・サビエルは、 1551年後事を弟子のトルレスらに託して九州に渡った。 その後山口では陶晴賢の乱が起こり義隆は討死した。 晴賢は大内氏の後継ぎとして九州の大友義鎮の弟、義長を迎えて大内氏を継がした。 義長は九州でサビエルに会っていたので、1552年山口に来ると早速トルレスに教会建立許可の裁許状を与えた。 これにより山口に日本最初のキリスト教が建立されたのであった。 その裁許状は当時写してヨーロッパに送られたが、それが1574年のケルン版ラテン語 「東洋イエズス会書簡集」に掲載されている。この碑はその本から複製したものである。 (案内板より)
独歩は千葉県に生まれたが、父が裁判所に勤務していたので、その転勤に連れて、 広島、岩国、柳井、山口を転居した。独歩が山口に来たのは13歳の時で、 山口の今道小学校に学び、更に山口中学校に入学した。このように独歩は、 山口を第二の故郷として少年の日を過ごしたので、独歩の作品には 「山の力」「帰去来」をはじめ詩などにも山口を背景にしたものが多いのである。 この亀山は山口中学校のすぐ近くにあったので、少年の独歩はよくここに遊んだことであろう。 碑の「山林に自由存す」の文字は独歩の自筆原稿を拡大したものである。 裏面には杉敏介氏の書で柳田国男氏の撰文が記してある。(案内板より)
駐車場奥の斜面の階段を上がると、四阿がある。
長山城 2014.8.31記
駐車場の入口が分かりにくくて、探してしまった(^^;) 遺構はよく分からないけど、毛利経親の像や築山館跡、大内氏館跡の遠景が見ることが出来て良かった。 ちなみに、見学時間は約15分弱。