トロとまったり・tripのページ(陶氏館)

山口県 陶氏館

やまぐちけん すえしやかた

■陶氏館
■富岡公園
駐車場=無し(公民館に数台分あり)

2014/12/29現在

住所=周南市下上
この時は、国道2号を下関方面へ進み、国道2号と県道3号との土居信号で県道3号へ右折。 曹洞宗 海印禅寺の案内板(見落としやすい)の所を左折。 少し進むと海印寺の案内板があり、そこを過ぎた次(直進が狭くなる所)を左折。 突き当りが富岡公園。奥に公民館がある。

陶氏館

この周辺は現在平城(ひらじょう)と呼ばれている。 これは室町時代、陶氏の居館がここにあったことに由来するものである。 陶氏は大内氏代々の重臣で、南北朝時代、下松の鷲頭(わしず)氏をうつために、 吉敷郡陶(現山口市陶)からこの地に移り住み、やがてここに居館を構えたとされている。 南方の国道2号線付近に七尾山城、北に上野の城山(じょうやま)、別所城などがあった。 一方、陶氏は海においても、優れた兵力を抱えており、その本拠地が現在の防府市の富海(とのみ)、 或いは周南市の古市(ふるいち)にあったとされている。また、近くの海印寺(かいいんじ)には、 陶弘護(ひろもり)の次男の興明(おきあき)や、 興房(おきふさ)の嫡男で晴賢(はるかた)の兄にあたる興昌(おきまさ)の供養塔があり、大切にされている。 (周南市教育委員会の案内板より・地図も)
■陶氏居館址碑の文…陶氏は大内氏の流れをくむ右田氏の祖、摂津守盛長五世の孫弘賢が吉敷郡陶村の領主となり、 よって陶を氏とした。二代弘政は世の中が南朝、北朝に分裂して混乱状態の中、 大内弘世の南朝方に従い、下松の鷲頭氏(大内家庶流)の北朝方と争戦。 居館を大字下上字武井の岡の原に築く。これを、平城(ひらじょう)と云う。 もと富岡小学校の敷地であった。平城の南に続いて一段低い所を「にいどん」と云い、 即ち新殿の意で陶氏が新館を建てた所と伝えている。 古社上野八幡宮は、正平10年(南朝1355)陶弘政の建立したものと伝えている。 上野の城山は、また陶氏の一支城であり、建咲院の裏山にも七尾城を築く。 四熊岳(504m)の麓を通り、花河原の西に陶氏の本城若山城(217m)がある。 大手門にあたる東南方は福川に属し、搦手の北面と西南は夜市の地である。(陶氏居館址碑の文より)

【左】公園横の公民館と駐車場。
【真ん中&右】公園入口と「陶氏館跡」のプレート。

【左】陶氏居館址の碑。
【真ん中&右】小学校跡だけあって公園というよりグラウンド。

【左&真ん中】門柱が残る南側の入口。石像がひっそりと…。
【右】南側の入口から富田川方面(県道3号沿い)。

南側の入口横の斜面と下側。

陶氏館 2014.12.29記

横の公民館の駐車場を利用して公園へ。小さな公園を想像していたので、広さにビックリ。 門柱まであるから何かの跡?と思ったら、碑文を読むと小学校跡だった。 納得(^^)ちなみに、見学時間は約3分。

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