【新府城】

山梨県 新府城 やまなしけん しんぷじょう
■新府城(別名=新府中韮崎城)=見学自由
駐車場=無料          (2005.9.17現在)
住所=韮崎市中田町中条上野
中央自動車道 韮崎I.Cを県道27号へ左折、 七里岩トンネルを出たらすぐに左折し、県道17号を進んでいく。 新府城の矢印看板が出ても、(左に新府城があるけど) 通り過ぎて、少しすると右側に大きな駐車場がある。 矢印看板の所からは(車道だったけど)徒歩でしか入れない。

新府城
新府城は、正式には新府中韮崎城といい、天正9年(1581)春(2月)、 武田勝頼が甲斐府中として、城地を七里岩南端韮崎の要害に相し、 武将真田昌幸に命じて築かせた平山城。勝頼がこの地に築城を 決意したのは、織田信長の甲斐侵攻に備え、韮崎に広大な新式の 城郭を構えて府中を移し、これに拠って強敵を撃退し、退勢の挽回を 期した結果であろう。築城工事は昼夜兼行で行われ、着工後8ヶ月余りで 竣工した。ついで城下町も整ったので、新府韮崎城と名付け、同年12月、 甲府(躑躅崎…つつじがさき)からここに移り、新体制を布いたのであった。しかし戦局は日に 悪化して翌年天正10年3月3日、勝頼は織田軍の侵入を待たず、自らこの城に日を放って 退去するのやむなきに至り、(郡内領岩殿城を指したが) 天目山田野の里に滅亡の日を迎えたのであった。 廃墟と化したこの城も、同年6月本能寺の変で織田信長が滅び、徳川・ 北条両氏が甲州の覇権を争うと、家康はこの城跡を修築して本陣とし、 われに5倍する兵を率いて若神子に布陣する北条氏直を翻弄して有利に 導き名城新府の真価を発揮したのである。この城は八ヶ岳火山の泥流に よる七里岩の上にあり、その地形をよく生かして築かれたその城地の 特色は城外から俯瞰されない事で縄張りの特徴は北方に東西二基の 出構を築き、鉄砲陣地とした点で、従来の城郭には見ることの出来ない 斬新な工夫である。現存する主な遺構は、頂上の本丸を中心に西に 二の丸、南に三の丸、大手、三日月堀、馬出、北に出構、搦手口、 東に稲荷曲輪、帯曲輪があり北から東に堀が繞らされている。 史跡指定区域は約20haに及ぶ広大なものであるが、この外側には 武将等の屋敷跡と伝えられる遺構・遺跡が散在している。 (案内板より)
本城は南北600m、東西550m、外堀の水準と本丸の標高差80m、型式は平山城で、 近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2.5mの土塁を巡らしている。 最高所は本丸で、東西90m、南北120m、本丸 の西に「シトミの構え」を隔てて二の丸があり大手に続く。 堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に 備えて、十字砲火を浴びせる為の堅固な二ヶ所の「出構え」 が築かれている。「シトミの構え」、「出構え」は新府城の 特色で防御の為に工夫されたもので特に「出構え」は鉄砲の ような新鋭兵器を持って敵の攻撃に対抗する為に工夫された 構えといわれる。(案内板より)
新府城いろいろ (写真をクリック→拡大)
東出構 東出構横の道 東出構近くの駐車場
■新府城出構… 出構は城の外郭の一部を長方形に 堀の中へ突出させた鉄砲陣地で、 防禦上最も弱いと見られる北正面に向けて、 東西に約100m隔てて平行に二本が築かれている。(案内板より)   とっても広い駐車場だった(^^)
新府城跡石碑 稲荷曲輪へ続く石段 帯曲輪
長い長い石段。かなり大変だった(^^;) 乙女坂の方がなだらかでいいかも。 石段の手前の帯曲輪。
乙女坂 蔀(しとみ)の構
■蔀の構…本丸と本丸馬出しの間に
ある。蔀は城内を見透せないように
工夫したもので、植込・蔀土居・
蔀塀の構えである。 (案内板より)

初めて蔀の構なんてものを見て、
なんぞや?と(笑)こうやって、
勉強になっていくわけです…(^^;)
本丸 本丸から二の丸へ
本丸がさっぱりしていたので、 二の丸はどんなふうなのかな(^^) なんて思いつつ…。
二の丸虎口 二の丸 二の丸の奥からの景色
二の丸が光に包まれてる。 おおっ!草だらけっ!!(゜□ ゜) 二の丸の奥まで行って景色を。
二の丸虎口の土塁 二の丸から馬出へ 二の丸から見た馬出
左が二の丸。右が土塁。 少し切れている部分がある。 平らな部分が広がっている。
馬出(写真左方面。) 写真左→曲輪?、右→西三の丸 曲輪?
どちらも二の丸方面を向いて (西三の丸側を背にして)写した。 記述が無いけど曲輪かな?
西三の丸 西三の丸を少し過ぎた辺り
端には土塁が(^^) 土塁で区切られた西三の丸を過ぎた所だけど、 ここも西三の丸なのかな?
東三の丸 大手口の虎口 付近のススキ
(左)矢印でさしてるから、東三の丸でいいのかな? (右)光が当たってきれいだった大手口の虎口付近のススキ♪
丸馬出し 三日月堀 南大手門
なるほど土塁も丸い♪ 確かに三日月っぽい(*^^*) この付近は凄い草だらけで…(^^;)
土塁 大手馬出し&大手望楼台
■大手馬出し… 大手門の前に築かれた馬出しの跡である。馬出しという
のは城門の前に築いて、人馬の出入りを敵に知られぬよう、また城の内部
を見通せないようにした土手を言う。馬出しは甲州流築城法の特色の構で
ある。(案内板より)
■大手望楼台… 物見などともいった展望台。 片山口ともいい南方甲府
盆地富士川河谷一帯を監視した場所。(案内板より)

←南大手門から車道方面へ歩いている時の左側の土塁。

■新府城
新府城近くになると、新府城の矢印看板があるけど、駐車場はもっと先の右側にある。 そこから新府城跡へ歩いて行くんだけど、歩道が無いのでかなり怖い。道路も狭いし。 ところで、遺構を示す案内板があるんだけど、イマイチわからないのが難点。縄張地図 と照らし合わせれば、「そうか〜。」みたいな(^^)でも、遺構はなかなかよかった(^^) ちなみに、車道は車で走れなくなってたので、「大手門」方面の入口からは、徒歩で。

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