【要害山城】

山梨県 要害山城 やまなしけん ようがいさんじょう
■要害山城=見学自由
※40分位、山を登るので、歩きやすい格好が無難。
駐車場=無し(路駐。)     (2005.2.11現在)
住所=甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)
この時は、中央自動車道甲府昭和ICから国道20号へ。 少しして国母交差点を左折。そのままずっと直進し、 飯豊橋を渡って3つ目の信号を右折。次の相生歩道橋交差点を52号へ左折。 2つ目の信号を411号へ右折。次の信号を県庁方面へ左折。 そのまま武田神社方面(県道31号)へ道なりに進み、 武田神社へ突き当たったら左折、ぐるりと進んで行く。 直進すると(広い道)道なりにまっすぐに行くようになる。 山梨市・要害方面と書いてあるのでわかりやすい。後はホテル要害を 目指せば横に要害山がある。

要害山
要害城は、永正17年(1520)に武田信虎が築いた山城。 居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる 詰の城としての役割を担っていた。信虎・信玄・勝頼と 三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備された。 城は山腹から主郭に至る通路に沿って、枡形虎口や郭が 複雑かつ連続的に付設されている他、竪堀や堀切を要所に 設けて防御を固めている。山頂の主郭には、規模の大きな 建物が存在したものと推定される。 南東尾根上には支城の熊城があり、深い堀切で区切られた 連続的な小郭と畝状竪堀が特徴的。また、麓には根小屋の 地名が残り、城番を勤める武士の屋敷が想定されている。 要害城は、熊城とともに遺構の保存状態が極めてよく、 記録が豊富に残されている等、戦国期の山城の様相を 今日に伝える貴重な山城である。(案内板より)
要害山 竪堀跡(下からと上から。)
土塁 門跡 曲輪
不動曲輪 要害城で最も堅固な門の建っていた門跡(両側から)
名称は、江戸時代後期に建てられた
武田不動尊に由来すると考えられる。
両側に高く整然とした石積を築いて通路を狭くし、 防御と攻撃の拠点として機能した。(案内板より)
3箇所の曲輪
■曲輪(左)= この曲輪は、これまで見て来た小規模なものとは異なり、 山腹を大規模に造成して広い平坦面を造っている。 ここから主郭部にかけて、大きな曲輪が連続している。(案内板より)
門跡(両側から) 武田信玄公誕生之地 石碑
急な山道を進み、いくつもの門をくぐりぬけて行くんだけど、 どこまで続くの…みたいな(^^;) 昔の人は凄いなぁ…。
最も重要な主郭部の門跡(両側から) 主郭部
主郭部の土塁 主郭部から熊城側の門跡(両側から)
■主郭部… 山頂に築かれた主郭部は東西73m、南北22mの長方形で、周囲に土塁を築いている。 城の最も重要な場所であり、庭園に用いられたと思われる石も残っている。(案内板より)
堀切跡 要害山 780m
■堀切跡… 狭い土橋を残して尾根を切り取った跡。一度に大勢の敵兵が、城の背後から 主郭部に進入するのを防いだ。要害城では石積を用い、 深く広い堀切を造っている。(案内板より)
主郭部からの景色 史跡境界


■要害山城
登山はかなりキツイ。最初から根をあげそうな坂に出くわす(笑)
そんな時、ふと横を見ると杖が置いてあった。使わなかったけど。 遺構はいい感じなんだけど何せ山道。感慨に浸れない程疲れる。 でも疲れを感じるからこそ、山城の醍醐味と言えるんだけど(^^;) 40分位かかって主郭に着いたけど、帰りはあまりの坂に早足に。 そうそう主郭部分はまだ雪が残ってて、堀切へ行くのに歩きにくいっ たらなかった。ズボズボはまり、靴の中に雪が!冷たかった!

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