【三戸城 その1】

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青森県 三戸城 あおもりけん さんのへじょう
■三戸城=見学自由
■城山公園
■三戸町立歴史民俗資料館・三戸城温故館=有料
駐車場=無料駐車場      (2007.9.22現在)
住所=三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下
この時は、二戸市方面から国道4号を北上し、 三戸方面の県道258号へ右へ。まっすぐの県道134号へ進み、 少しすると、左側に城山公園の入口。

三戸城
三戸城の築城年代については、現存する資料に 確かな記述を見ることはできないが、伝承によると 三戸南部氏の居城であった聖寿寺館が、天文8年(1539)に 家臣の放火により焼失、その後三戸に居城を移したと言われている。
三戸城は馬渕川と熊原川との合流点に位置し、 標高約130m、広さ約40万u(10万坪)。 築城年代は、永禄年間(1558〜70)、24代南部晴政時代である。 26代南部信直は、天正18年(1590)小田原に参陣、 その功により豊臣秀吉より、南部七郡(糠部・岩手・紫波・稗貫・ 和賀・閉伊・鹿角)領有の公認を受け、これにより南部氏の 近世の大名としての基礎は万全となった。 南方に領土が広がり、三戸の位置は領内中央で無くなり、 慶長2年(1597)盛岡に築城、漸次移住、寛永10年(1633)より、 盛岡城だけを居城と定め、三戸城は御古城と呼ばれ、 城代の統治と代わった。(案内板より)
大手門跡 三戸城址碑 城山公園
城山公園入口からすぐ大手門跡、城址碑がある。 城址碑の後に続く遊歩道は工事中で、ブルーシートが(^^;)
物見櫓跡 綱御門の下の方の石垣 綱御門下の土塁
もう少し上がると、道路右側に物見櫓跡。反対側の石段を上がると、 いい感じに石垣が♪そのすぐ先に綱御門。
綱御門
綱御門とは、般若心経を読み、城の安泰を祈願した 綱(心経綱)を掲げた門のことである。 これによってもこの門は、三戸城にとりいかに重要な門で あったかを、知ることができる。 門を入って鳩御門に向かう途中、道を挟んで南北に 武者溜があった。武者溜は綱御門の守備兵の控所のあった ところである。この綱御門及びこれに続く石垣は、 平成元年のふるさと創生事業で建てられたものである。 (三戸町の案内板より)

(下真ん中)瓦には、南部氏の紋が(^^)
綱御門 武者溜跡(綱御門側)
綱御門をくぐっていくと、両側に武者溜跡が(^^) 綱御門側の武者溜跡は、土塁向こう(右の写真)にまで続いていた。
武者溜跡 鳩御門跡
綱御門は、三戸城第一の要衝で あり、石垣で厳重に防衛されていた。 綱御門の守備兵の詰所を武者溜と 呼んでいる。城内で、武者溜の設け られているのはこの一郭だけである。 これを見ても、綱御門は三戸城の命 運を担う、いかに大事な城門であった かを知ることができるであろう。
(右)鳩御門跡に転がる石は遺構?
目時筑前邸跡 桜庭安房邸跡 北左衛門佐邸跡
鳩御門跡を過ぎると屋敷跡が続く。この辺りになると、ちょっと薄暗い。 高い土塁の上に案内棒がある所も(^^;)
医者屋敷跡 石亀城・石亀七左衛門邸跡 東彦左衛門邸跡
どんどん上がって行くと、石亀城・石亀七左衛門邸跡が。 そこには鹿園がある(^^)この鹿が可愛いんだ〜♪
三戸城石碑 欅御門跡 石井伊賀守邸跡
鳥居の近くには、なぜか字の部分がずれてる城址碑が。 欅御門跡近くに石井伊賀守邸跡。他、北方面にも跡がある。
庭園 空堀(右側&左側)
空堀はどこかなぁ?と結構ウロウロ。空堀の案内棒を見つけ、 ヒョイと見ると空堀が!なかなか大きくて素敵!
御鷹部屋跡(祥鷹閣)
御鷹部屋とは、鷹狩りに用いる鷹を飼育した場所である。 北国である奥州の鷹は俊敏、強健だといわれ、上方での 評判は高かった。 将軍などへの贈物として、鷹は南部駒と共に非常に喜ばれていた。 三戸では梅内字滝地内の断崖(目時の東裏にあたる)等で 鷹の子を取り、この場所で鷹匠が飼い、育て鷹狩りの訓練を 行い、優れた鷹に育て上げた。(三戸町の案内板より)

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