トロとまったり・tripのページ(四国カルスト その2)

地芳峠

県道383号の四国カルスト方面へ向かう所の地芳峠。 「高知県」、「地芳峠」の案内板や石仏がある。

唐岩(からいわ)番所

地芳峠から走って行くと右側に「唐岩番所」と「カルスト地形」の案内板が立ち、その左側に大きなはりつけの岩がある。 説明板を読まずに、「大きい!」なんて写したんだけど、岩の下に磔岩だか、磔台と書かれていて不思議に思い、 改めて説明板を読んで納得。そりゃ、存在感あるわ。この類は迷わず消去…。

関所の事は土佐では道番所と言われ、享保元年(1716)2月の「道番所定式」付録によると、 領内の関所は81ヶ所で、そのうち63ヶ所は国境番所、18ヶ所が内番所であって、 現在の梼原町には両方合わせて16ヶ所の番所があった。 唐岩番所は、土佐と伊予との境目番所の1つであって、宝永元年(1704)に設置され、 地芳番所ともいい、永野口番人が享和元年(1801)まで兼務していた。 番屋は、九尺梁に桁四間の茅葺屋根の総板敷で、備付品として鉄砲(一)、 手錠(一)と三ツ道具があり、便所・物置とともに庭前に池を配し防風用の樹木もあったという。 現在は、敷地の一部と自然の築山も変形はしているが少し残っている。 番所の北側には、道を隔てて「はりつけの岩」がある。(案内板より)

■カルスト地形…雨水や地下水によって溶食された石灰地特有の地形をカルスト地形という。 台地に降った雨は川とならず石灰岩の割れ目に沿って地下にしみこむ。 これを繰り返すうちに入口の周囲をすり鉢状に溶かす。 この凹地をドリーネという。このドリーネが2つ以上結合したものをウバーレと呼び、 さらに大規模になった盆地をポリエという。また、溶食に耐えて残った墓石の様な岩をカッレンといい、 それがたくさん並ぶ原野をカッレンフエルトとよぶ。大野ヶ原の地層は、 今から2億数千万年にできた堆積岩類で、石灰岩の中から紡錘虫、サンゴ、 巻貝などの化石が発見されている。大昔は、この高原は海の底だったことが分かる。(案内板より)

姫鶴平

雨が降るわ、霧が出るわで、とにかく真っ白…。

【左】上で紹介した姫鶴平の案内板の所から道を挟んで立つ姫鶴荘。
【真ん中】(案内板をクリック→拡大)凝縮されて分かりやすい。
【右】広域に紹介された案内板。

【左】姫鶴平から東へ進んだ所の四阿。
【真ん中】五段高原方面へ。風力発電が並び、たくさんの牛がいた♪
【右】風力発電。霧で上部が隠れて写しづらく、撮れたと思ったらフロントガラスの水が…。

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