トロとまったり・tripのページ(直方陣屋 その2)

西徳寺

西徳寺(さいとくじ)は、浄土真宗本願寺派に属し、筑前名島城主小早川秀秋の臣篠田次郎兵衛重英の開基である。 重英は出家して西徳是照と称し、草庵を結んで専修念仏の業を修める。 寛永5年(1628)3世清順の時「西徳寺」という寺号を許された。 御館山城主黒田高政公は当寺の本堂を建立し、この寺を准菩提寺とした。 寛永15年(1638)島原の乱で出陣の際は御館山城の第二砦となり、ここで出陣の報告祭があった。 また、当寺には福岡県指定有形文化財の梵鐘一口があり、江戸初期の鐘で、 その鋳造者は不明であるが、銘は黒田藩の儒者貝原益軒であり、福岡城の楼鐘であった。 なお、当寺の山門は直方還府(1720)の節に場内の横門を山門に寄進されたものである。 昭和63年3月15日直方市指定有形文化財に指定された。(案内板より)

多賀町公園・貝島太助邸跡

国道200号から県道467号を西へ進み、県道27号との古町信号を過ぎ、 その先の陸橋を渡らず、その手前の左斜めの道へ。すぐ左側が多賀町公園。
【左】多賀町公園の碑。 【真ん中】説明板。 【右】公園横の道から多賀神社。

ここには直方の炭鉱王貝島太助の自宅があった。 当時としては、珍しい3階建の木造住宅で豪華な建物であっただろうと推測される。 当時は、森鴎外など著名な方々が貝島の自宅で足を休めたとされている。 貝島太助像は、昭和34年(1959)に筑豊の炭鉱王としての功績を称え、記念像が建てられた。 昭和45年からは、児童公園として親しまれている。 平成10年には、小倉の第十二師団の軍医部長森鴎外が明治33年(1900)に、 直方の貝島宅に宿泊したことを記念して、森鴎外記念碑が建てられた。 昭和45年からは、児童公園として多くの方の憩いの場として親しまれている。(直方市の案内板より)

トイレの所にあった案内板。見落とさなくてよかった…(^^;)

■多賀町公園遺跡所在地…直方は、1720年に福岡藩に吸収合併されるまでは、 黒田家の分家が置かれていた支藩であり、城を持たないので「陣屋城下町」と呼ばれていた。当時の絵図により、 多賀町公園のある位置には比較的位の高い武士の屋敷があったことがわかっている。 平成9年に実施した発掘調査によって、その屋敷跡を偲ばせる石組みの井戸や、 出産時の胎盤を収納して埋胞衣壷(えなつぼ)等の遺構が出土した。 明治時代には、この場所に炭鉱経営者として著名な貝島太助氏の邸跡があり、当時の瓦積みの井戸も見つかっている。 この植樹マスには、江戸時代の井戸に用いられた石材の一部を利用している。(直方市の案内板より)

新町北公園

【左】国道200号から県道21号へ西へ進み、新町信号を北へ進んだ所にある公園。
【真ん中】直方陣屋の案内板も立っていて嬉しい(^^)
【右】公園の南東にある須賀神社。

直方陣屋 2015.1.2記

直方は初めて来たけれど、寺や神社がやたらと目についた。 さて、ここは見所が散在しているので、徒歩で移動したり車で移動したり。 到着時は、空模様が怪しい曇りだったけど、歩き回っている最中、雪が降ってきて凄く寒かった…。 あまりにも寒かったのか、体育館を写していなかった(^^;) 遺構としてはよく分からなかったけど、碑や説明板巡りが出来たのはよかった(^^) ちなみに、多賀神社や多賀公園、体育館等の見学時間は約30分 (雙(双)林院、石炭記念館の室外展示物の見学の時間も含めて)。 多賀町公園・貝島太助邸跡、新町北公園、西徳寺は車で移動した。
(写真)県道467号の緑の橋。

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