【加納城 その2】

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本丸 北門(内側&外側)
(左)北側から見た本丸。小さく写るのは、発掘調査の建物。 (真ん中&右)ここの門は、埋門だったんだとか。
本丸北側の石垣
(パノラマっぽく加工)
 1番左端が、本丸北東の二重櫓跡。 草で覆われているけど、とっても素敵な石垣♪手前は堀跡。
本丸北東の二重櫓跡 本丸北門(外側の左側) 本丸北門よりも右側の石垣
(左)本丸側は、静けさ漂う雰囲気。  (真ん中&右)パノラマだとよく見えないから、 別々にアップしてみた♪
本丸の石垣
岐阜市近傍の山で産するチャートという石を材料に積み上げられている。 石は、角以外の部分には加工の跡が認められない「自然石」が用いられ、 石と石の間には、川原石が詰められている。石垣の角の部分は、 「算木積み」という横長の石を交互に組み合わせた積み方が認められる。 この石垣は、「野面積み」という近世初頭頃までに多く用いられた 積み方によるもので、近世加納城が築かれた17世紀の初め頃の姿を 留めている。これほど良好に近世初頭の石垣が残存する事例は、 美濃国では他に見られず、極めて貴重な遺構である。加納城の石垣は、 本丸外周や二の丸北面などに、現存している。(岐阜市教育委員会の案内板より)
筋鐡門跡と鐡門跡
(左)筋鐡門跡から本丸方面。  (真ん中)土塁の所に筋鐡門跡。  (右)筋鐡門跡から桝形へ。そして、鐡門跡。
本丸南東の二重櫓跡 本丸南東の石垣 本丸南東の二重櫓跡から
(真ん中)石垣の左端が、本丸南東の二重櫓跡。 (右)逆に、櫓跡から。石垣が続いているのがとても素敵!
厩曲輪 三の丸・太鼓門跡
(右)左が加納東公民館、右が小学校。 公民館の建物内に、太鼓門があったみたい。入るのはアレなんで門から。
二の丸

二の丸には、歴代の城主の御殿が あったところ。一説によると、初代 城主・奥平信昌が隠居した時に、 本丸御殿から移り住んだと いわれている。
 (左)こちら側の二の丸は、何にも 無い空き地状態。
(真ん中)二の丸から三の丸方面を。
この辺、二の丸御殿跡付近かな?
二の丸東北隅櫓(御三階櫓)跡 二の丸と三の丸の堀跡 荒田川
この場所は、二の丸と三の丸を隔てる堀にあたる。 幅は23〜4mもあり、隣の荒田川から水を引いていた。 左手の石垣は、二の丸の東北隅櫓のもので、 岐阜城の天守(三階櫓)が移築されたが、 享保13年(1728)の大火で焼失した。 (岐阜市教育委員会の案内板より) ここも、現存石垣(≧▽≦)ちなみに、横が学校だけに写しづらい だけじゃなく、説明版の前のフェンスが邪魔だった〜!

■加納城
駐車場が無くて、どこにあるんだろう?って、グルグルしてしまった(^^;) どうにか見つけたけど、発掘調査中だからか、臨時駐車場。 ちなみに、パンフを設置(この時は、臆病門付近)していて、嬉しい♪ 詳しく書いてあるので、城見学がしやすく、とても助かった〜♪ それにしても、凄い!本丸の内部は土塁が巡り、外側は石垣が囲んでいて、 しかも高さがある!嬉しすぎっ(≧▽≦) 関係ないけど、散策してて思ったのは、近辺に学校が多い! 密集しているにも程があるような。 それはさておき、パンフのおかげでいろいろと散策ができて、 大満足の見学ができて良かった!

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