【仙台城 その1】

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宮城県 仙台城 みやぎけん  せんだいじょう
■仙台城(別名=青葉城)=見学自由
駐車場=有料
青葉城資料展示館=9時〜16時半(入場は16時)
料金=大人700円         (2005.5.1現在)
住所=仙台市青葉区
この時は上からのアクセスで、県道22号から国道4号方面へ進み、 仙台市役所を過ぎて、国道48号との交差点を過ぎて、 2個目の信号を青葉通りに右折。そのままずっと進んで、 川を渡り仙台博物館を過ぎて、仙台城祉入口の信号(隅櫓)を左折した。

仙台城 (鳥瞰図をクリック→拡大)
仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代の末から 室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したと いい、室町時代の末頃には、国分荘の国人国分氏が一時居城したとも 言い伝えられているが明らかでない。 豊臣氏の頃、後の仙台藩祖伊達政宗公は天正19年(1591) 以来58万石を領して、玉造郡岩出山城に在ったが、慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の 上杉景勝を牽制し、家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により、 新たに刈田郡を増加、仙台60万石(後ち近江、常陸で2万石増加) に封ぜられた。この時政宗公34歳、大いに工を起して仙台城を 築城、同時に戸数1万800人口5万2千の城下町を開いた。 二代忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩に ふさわしい城郭を完成した。 かくして仙台城は藩祖以来伊達氏、13代270年にわたり1度も戦火を 被らなかった平和な城として郭内の殿舎、楼櫓を完全に 保存して明治時代に至ったが、心無き俗吏によって破却せられ、 あるいは火を失し、戦災に罹りなどして全滅に帰した。 尚本丸の地は仙台七崎の1つ青葉ヶ崎で仙台城の俗称を青葉城と よぶのはこのためである。 (宮城県護国神社の案内板より・左の鳥瞰図も)
埋門跡
本丸の南側出入口となるこの場所には、正保の城絵図によると、平屋建・ 瓦葺の門が建っていた。この門は西側を向き、侵入者を入口で二折させる 防御性の高い構造となっており、かつては石垣も残っていた。 ここを過ぎると、桃山様式の大広間、大台所、遠侍、御座ノ間 、書院等の殿舎群や、広瀬側を見下ろす断崖に張り出た 懸造等があった。 また、本丸の外周部には、石垣・多聞長屋・土堀・木柵等を巡らし、 その上には詰ノ門や酉ノ門、艮櫓等の4基の三重櫓、二重櫓等も 築かれていた。(案内板より)
(右)埋門付近の駐車場。結構、車の往来が多いので注意(^^;) しかも視覚が悪いし…。さすが。
巽櫓跡&礎石 大番士土手 「荒城の月」の作詞者 土井晩翠
本丸&景色
伊達政宗公の像
伊達政宗公♪この像の前には、
狛犬が!ガウガウ!守るぞ!
下の4枚は、台座のレリーフ。
撮影スポットだけに、なかなか
ゆっくりと見られないので、
写した後で、じっくり拝見(^^)
護国神社で
(左)護国神社前の駐車場。朝からどんどん入ってくる! (真ん中&右)フワフワ桜が満開♪紙みたいな花びら。
青葉城資料展示館 赤い橋
(左)入場料がちょっぴり高めだったりする(笑)  (真ん中&右)土産物屋付近の橋。緑に赤が映えていい感じ(^^) 
詰ノ門跡
仙台城本丸は、東側が広瀬川に臨む断崖であり、西側を青葉山(御裏林)、 南側を竜ノ口峡谷が囲むという天険の要害。 この北側には石垣が築かれ、登城口が設けられていた。 詰ノ門はこの入口に建てられた門で、正保の城絵図によると二階建・ 瓦葺で、棟の両端に鯱が載っていた。 左右の石垣間の距離は約19.5m(65尺)で、大手門と同じ幅(桁行)を持つ。 門の左右(東西)には三重の脇櫓(東脇櫓・西脇櫓)が築かれていたが、 正保3年(1646)の地震で倒壊した。(案内板より) (真ん中)左の写真右側。(下)本丸から。石垣修復工事記念碑。
本丸の石垣
(左)車内からなので、かなり曲がってしまった(^^;) それにしても、石垣が素敵♪ (右)詰ノ門方面。凄く高い!!
(左&真ん中)左上の写真の石垣。 前方の車で分かるように、 石垣の出っ張りが凄く、大型車とのすれ違いは大変。
(右)1番最初で使用した写真。 左の写真の先の石垣。この石垣も素敵(^^)
中ノ門跡
反対側を写さなかった…(^^;)
(右)左の写真の右側。

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