トロとまったり・tripのページ(備中松山城 その1)

岡山県 備中松山城

おかやまけん びっちゅうまつやまじょう

入場料金=大人300円
開館時間=4月〜9月/9時〜17時半(17時まで)
      =10月〜3月/9時〜16時半(16時まで)
休館日=年末年始(12月28日〜1月4日)
駐車場=無料駐車場

2004/12/28現在

住所=高梁市内山下1
岡山自動車道賀陽ICから国道484号を高梁方面へ。 国道313号から国道180号に切り替わって、観光駐車場を過ぎて、川端町交差点を右折、 少し進んで道なりに右折、備中松山城の案内板がすぐ出て、左折。 線路を通って、そのまま道なりに進む。道が一方通行っぽく、左側を走るようになる。 途中で右に駐車場があるが、もう少し山を上ってもある。その方が、駐車場から城まで距離が少しでも縮む。

備中松山城

鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(うかんのごう)(現上房郡有漢町)の地頭に任ぜられた秋庭三郎重信が、臥牛山のうちの大松山に砦を築いた事に始まる。 その後、小松山に移り、城の縄張りは時代と共に変化するが、なかでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、 「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていた事が記録として残っている。臥牛山全域が一大要塞となっていた事がうかがえる。 当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、 備中国奉行として赴任していた小堀正次・政一(遠州)父子により修改築がなされる等備中の要塞としての役割を担っていたようだ。 以降、池田氏・水谷氏・安藤氏・石川氏・板倉氏と城主が代わり、明治維新を迎えるが、 現存する天守等は天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられている。(案内板より)

案内板の写真をクリック→拡大。

中太鼓の丸跡

【左】臥牛山上空からの写真。(案内板より)

古文書や絵図等の記録によっては「上太鼓の丸」と記されたものもあり、小松山から、南へ延びる緩やかな尾根上にあたる。 眼下に見える前山山頂の「下太鼓の丸跡」と「大手門跡」とのほぼ中間で、戦略上の重要な拠点でもある。 「曲輪」と呼ばれる2段の平坦面からなり、その側面には強固な石積みが築かれている。 上段の曲輪の南端には、「中太鼓櫓」と呼ばれる櫓が建っていた事が記録や絵図に残っており、現在も跡をとどめる。 城主の登場の際や有事の際に山麓の御根小屋と天守とを太鼓の音等で連絡する中継所の1つで、防備上の拠点であると同時に通信網の要衝。(案内板より)

【左】中太鼓の丸跡からの景色。

犬走り

犬走りは表門を迂回して裏門へ至る横道であり、犬走り口はその虎口(入口)にあたる。 備中松山城の場合、土塀の痕跡がとぎれる大手門下の現在に地にあたり、ここから天守裏の搦手門に通じる犬走りが続いている。

【右】「よくぞまいられた 城主」(笑)

大手門跡

備中松山城は、自然の地形を巧みに利用して築かれているが、なかでも大手門はその典型。 山麓から続く登城道に対し、大手門が東を向いて構えているので、侵入が矩折りとなり、内部は踏面の長い石段と高い石垣で周りが囲まれ、 半ば枡形構造(門の内側もしくは外側に、敵の直進を防ぐ事を目的に設けた四角形の空間)となっている。 城内へ押し寄せる軍勢などの勢力をそぐ為にとられた工夫で、備中松山城の大手門は実践向きに築かれている。 攻撃或いは防御に当たっての重要な軍事施設であると同時に、大手門は浄化に威を奮う統治上の象徴的施設でもある。 その為城内に6つある門のうち、最も複雑な侵入形態をとるとともに、最大の規模を有している。(案内板より)

石垣の調査と観測

【左】大手門跡側から見上げて。暗く写った石垣部分が足軽箱番所跡。
【右】左の写真の右奥。写真でわかりやすい足場のような部分、他岩部分に設置されている(実際だとよくわかる)。 確かに崩れそう…。

岩の上に築かれた石垣に変形が見られ、崩落の危険性が生じてきた。 調査の結果、この石垣を支える自然岩盤に亀裂が見つかると共に、僅かに動いている事が判明、岩盤自体も崩壊の危険性にさらされている事がわかった。 この為、高梁市教育委員会では京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜面の「動き」を調査・観測している。 岩盤変動監視システムに、各種センサーが設置されている。(案内板より)

足軽箱番所跡

大手門跡からすぐ右側。
【左】階段を上って右。
【右】後ろから引いて写した足軽箱番所。格好いいな(^^)

大手櫓跡
二の平櫓跡
土塀

【左】大手門跡から入ってすぐ左側。
【真ん中】土塀の手前にちょこんと。
【右】土塀がとてもきれい。

三の丸

【左】足軽番所跡、上番所跡がこの写真に写っている。
【右】三の丸から見上げて。大手門跡から見上げる石垣もいいけど、ここからの石垣も本当に素敵〜♪

三の丸・足軽番所跡&上番所跡

【左】写真右側の木の左辺りが、足軽番所跡。土塀の道を登り、右側の手前辺りが足軽番所跡。
【右】上番所跡。足軽番所跡よりも奥の方にある。石垣に近い所にあったんだろうな。

三の平櫓跡
路地門跡
黒門跡

【左】三の丸の左側にある。
【真ん中】三の平櫓跡の右方の木に隠れてる。
【右】三の丸を過ぎてある。

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