トロとまったり・tripのページ(府内城 その2)

東丸・三重櫓跡 // 木下郁・上田保先生の像

【左】手前の石垣が三重櫓跡、奥が北東二重櫓。
【真ん中】南東二重櫓から。出っ張りが三重櫓跡。
【右】先生達。

東丸・北東二重櫓

【左】他の櫓と変わらない?と思ったけれど、こちらの櫓は、石落としが2ヶ所。 微妙に違うんだなぁ〜(笑)

【左】本丸北東付近から。複雑に見える石垣がいい♪ビルが無ければねぇ…。
【右】天守台から。結構見える。

帯曲輪&堀跡

【真ん中】帯曲輪。写真左側が海跡、右側が埋め立てられた堀跡。
【右】帯曲輪の横は水路だけど、海が迫っていた。

府内城は江戸時代、本丸・東丸・西丸と山里丸を含む北丸からなり、 天守閣のあった本丸周辺には水堀があり、北方も海に面した典型的な浮城となっていた。 堀の東側から北側には、堀を囲んで、堤防状の土手が築かれていた。 これは、帯曲輪と言われ、城と海とを区画する為の外周施設で、古絵図によれば、354間(約644m)の長さと書かれている。 現在、お堀の東側に外苑として細長く残っているこの場所が、それにあたる。(案内板より)

山里丸

松栄神社の場所は、山里丸と呼ばれ、茶の湯や能、月見等の諸芸能が営まれた特別な場所である。(案内板より)

【左】松栄神社。
【真ん中】慶長期(1600年前後)に、積まれたもので、山里丸を囲む石垣の一部。
【右】天守台から見下ろして。左の石垣の先端が、本丸・北二重櫓跡、正面が廊下橋で、その右側が山里丸。

廊下橋

山里丸から西丸方面。廊下橋だと雨の日は便利だろうな〜(笑)

山里丸と西丸を結ぶ堀の上に掛けられていた渡り廊下が、廊下橋である。 山里丸と同様、他にあまり例を見ない貴重な史跡であることから、 平成8年度に復元した。復元に先立って、平成7年度に行った発掘調査の結果、 「慶長期絵図」に示された石垣が確認され、その内容が正確に伝えられていることも分かった。 復元に際しては、「慶長期絵図」「松栄神社所蔵絵図」等を参考にした。廊下橋の規模は、 長さ21.7m、幅員2.4m、橋脚高3.8m、建築部分の最高高さ4.6m、檜造り、 壁は漆喰塗り、屋根は檜皮葺きとなっている。(案内板より)

西丸〜冠木門〜廊下橋へ

【左】冠木門跡→桝形→正面の廊下橋へ。
【真ん中】桝形から廊下橋。
【右】振り返って。右折れで、冠木門へ。

冠木門跡

【左】西丸側から。冠木門から桝形、左折れで廊下橋へ。
【真ん中】冠木門の所に、礎石が残る。
【右】桝形側から。

西丸・北西二重櫓跡

【左】左側が山里丸、正面が廊下橋、右側が西丸。
【真ん中】北西二重櫓跡。
【右】北西二重櫓跡から西丸の西面を。

西丸・西側の入口

西丸の北西二重櫓と南西二重隅櫓との間で、石垣が切り開かれている。 丁度、西側二重櫓辺り?
【右】内側。

西丸・南西二重櫓

【左】(パノラマっぽく加工)左から南西二重櫓、右寄りの小さな櫓が宗門櫓、1番右側が大手門(多聞櫓門)。
【右】左の写真の角度を変えて。手前が南西二重櫓、奥に小さく見える櫓が、東丸の着到櫓。

【左&真ん中】西丸側から。自動車が…(^^;)
【右】鬼瓦には、「丸に釘抜」の家紋が。大給松平家のものらしい。

西丸・宗門櫓(現存)

【左】写真右端が大手門(多聞櫓門)。写っていないけど、左側に西丸・南西二重櫓がある。
【真ん中&右】西丸側。

三の丸 // おまけ

【左】近辺が三の丸だなぁ…と思って、何気なく。
【真ん中】テクテク歩いている姿が可愛くて。
【右】アップも♪

府内城 2011.4.30記

駐車場が不安だったけれど、一か八か行ってみよう!と向かうと、何事も無くとめられた(^^) もしかしたら、文化会館でイベントがあって、その臨時駐車場に便乗出来たのかも? さて、ぐるりと1周して、石垣や櫓を堪能(^^) 櫓は、似たり寄ったりかな?と思わなくも無くて(^^;) 現存の人質櫓と宗門櫓、堀を挟んだ石垣も格好良かったし、満足の見学ができた。 だけど、この日、何ヶ所か回った後だったので、歩くのが本当にきつかった(T_T) そういえば、中国系の女の子達、見学が楽しそうだったなぁ(笑) ちなみに見学時間は、ゆっくり歩いて約50分。

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