トロとまったり・tripのページ(真田昌幸陣・麦原 その1)

佐賀県 真田昌幸陣 ・ No.116陣

さがけん さなだまさゆきじん

■真田昌幸陣(※佐賀県遺跡地図では、No.116陣と表記され、陣跡には真田昌幸陣の説明板がある。)
駐車場=駐車スペース(北西の道付近)
【撮影日】2019/1/3、2018/1/4、2017/8/17、2017/8/16。
【左】真田昌幸陣にある伝真田幸村(信繁)のお墓。(2017/8/17撮影)

2019/1/3現在

住所=唐津市鎮西町名護屋
標柱は、県道301号の波戸岬少年自然の家入口信号から東へ、十字路の右前に立つ。 案内板は、標柱が右前に立つ十字路を右折、すぐ左折して東へ、少し先の右側にある。 陣跡は、標柱が右前に立つ十字路を右折、そのまま進んで、左側の木々の茂った所。 道路沿いの「真田陣跡、六文銭、サエモンサマ供養墓」の案内板が立つ入口から徒歩で。 (※上記のアクセスは選択肢の1つです。)

真田昌幸陣 ・ 案内板

■真田昌幸陣(1547〜1611)信濃国上田城主…信之・幸村の父。彼らは、いずれもこの名護屋に出陣していたといわれ、その陣跡も推定されている。 しかし、関ケ原の戦い以後、親子はそれぞれ運命を異にしており、信之が東軍であったのに対し、昌幸と幸村は西軍に属した。 さらに、信之は信濃国松代藩の初代藩主として江戸時代まで生存しているが、幸村は大坂の陣で豊臣秀頼を攻める徳川家康を相手に大いに奮戦し戦死するなど、対照的である。 なお、本陣跡が幸村の陣跡との説もある。(案内板より)

【左】道の駅 桃山天下市にある歴史探訪の道の案内板。16番の旗の所に案内板。(2019/1/3撮影)
【右】左の写真の16番の旗の所の案内板。(2017/8/16撮影)

真田昌幸陣 ・ 道中〜標柱 ・ 案内板&遠景(北側)

(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つで、自分用の覚書として詳細を。)
【切り取り加工】県道301号の波戸岬少年自然の家入口信号から東へ。 案内板へは、次の十字路(真田昌幸陣の標柱が立つ)を右折、すぐ左折して東へ。少し先の右側に案内板。 ここからでも、蒲生氏郷陣、加藤光泰陣、真田昌幸陣、伊藤盛景陣の遠景が見える。(2017/8/16撮影)

【左】上の写真の標柱の所。ちなみに、波戸岬少年自然の家へ進むと、左側に連続して、氏家行広陣、足利義昭陣の標柱が立っている。(2017/8/16撮影)
【真ん中】真田昌幸陣の標柱「真田昌幸陣跡・信濃 上田」。標柱の矢印方向は、遠景は見えていないから、この道を進めという事なんだろうな(^^;)(2017/8/16撮影)
【右】真ん中の写真の右端の「細川忠興 九鬼嘉隆」あと260mだよ!&「真田昌幸 蒲生氏郷」あと180mだよ!の案内。(2017/8/16撮影)

【左】上の写真の標柱の所。案内板は十字路を右折、すぐ左折。陣跡へは十字路を右折、そのまま道なりに。(2017/8/16撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真の案内板方向へ進んで、案内板と北側の遠景(写真右側)を。(2019/1/3撮影)

【パノラマっぽく加工】写真左から蒲生氏郷陣、その右奥が加藤光泰陣、その右側が真田昌幸陣。 2017年時の夏に見られた旗は無かった。(2018/1/4撮影)

【切り取り加工】案内板からの遠景で、左奥が加藤光泰陣。陣跡は、真田の旗が見えた♪(2017/8/16撮影)

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