トロとまったり・tripのページ(水口城 その1)

滋賀県 水口城

しがけん みなくちじょう

■水口城(別名=碧水城…へきすいじょう)
■水口城資料館=100円
開館時間=10時〜16時
休館日=月、年末年始
駐車場=無料駐車場(体育館の駐車場利用)
※このページは2006/11/25、2007/5/2の写真を使用。

2007/5/2現在

住所=甲賀市水口町本丸
この時は、名神高速道路 栗東ICを国道1号の四日市方面へ下り、次に国道1号の四日市、水口方面へ。 国道1号を進み、朝国交差点を過ぎて、次の泉西信号で(1番右の道の)県道535号へ。そのまま進んで、 線路を渡ってすぐの信号を左折、次の線路を渡って少しすると左側に櫓が見え、過ぎてすぐ左に体育館と共通の駐車場がある。

水口城跡

水口は都から伊勢へ通じる交通の要所にあり、中世後期には既に町並が形成されていたが、天正13年(1585)には羽柴秀吉の命により水口岡山城が築かれ、その城下町として発展を見せた。 関ヶ原合戦後、この地を直轄地とした徳川家康は、水口を東海道の宿駅に指定した。そして家康はしばしばこの地を通行し、宿内の大徳寺などに宿泊している。 寛永11年(1634)3代将軍家光は上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館を築かせた。これが水口城である。 作事奉行には建築や造園、茶道などで知られる小堀遠江守政一(遠州)があたった。 城は堀と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられた。その建物構成は京都二条城に共通し、数寄をこらしたものだった。 その後、幕府の任命した城番が管理する番城となったが、天和2年(1682)には加藤明友が入封し水口藩が成立、水口城はその居城となり明治維新に至った。 維新後は廃城となり、建物や石垣の大半は撤去されたが、本丸敷地のみは保存され、昭和47年(1972)滋賀県の史跡に指定された。 平成3年(1991)出丸の部分に矢倉が復元され、「水口城資料館」として開館した。(甲賀市教育委員会の案内板より)(写真=『水口城本丸平面図 〜将軍家宿館時代〜』)

【左】写真をクリック→拡大。

出丸入口の橋と堀

【左】石垣の赤が不思議な感じ。(2006/11/25撮影)
【右】開いた門と橋を横から♪(2007/5/2撮影)

【左】東側から橋を。橋の奥が本丸。(2006/11/25撮影)
【右】橋と出丸方面。堀に溜まる紅葉がいい♪ (2006/11/25撮影)

出丸入口

【左】前回の閉門された門。(2006/11/25撮影)
【右】今回、昼だから開門〜(^^)でも、天気が悪いから、前回と変わらず薄暗い(^^;)(2007/5/2撮影)

【左】門は高麗門。(2006/11/25撮影)
【真ん中&右】外側と内側。(2007/5/2撮影)

出丸

前回は、狭間からもどかしい思いで覗いたけれど、今回は堂々と(笑)でも、資料館には入らず…。
【左&真ん中】2007/5/2撮影。
【右】2006/11/25撮影。

出丸 ・ 模擬櫓

【左】北東側から。右下のピンクの花もいい感じ♪(2006/11/25撮影)
【右】東側から。それにしても、桜の木(?)が邪魔!模擬櫓だけを写すのに一苦労(^^;)(2006/11/25撮影)

【左】南東側から。この角度が1番好きだな♪(2006/11/25撮影)
【右】南側から。(2006/11/25撮影)

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