【狩野城 その1】

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静岡県 狩野城 しずおかけん かのうじょう
■狩野城=見学自由
■本柿木農村公園
駐車場=無料駐車場      (2011.2.27現在)
(写真)出丸から中郭と東郭方面。
住所=伊豆市本柿木
この時は、国道136号を修善寺方面へ北上し、 柿木橋バス停の所を左折。 (国道沿いに大きな案内板がある。) 細道を少し進むと左側にある。

狩野城
狩野城は、平安末期(1100年頃)、狩野氏によって築かれた。 標高190mの城域には、鎌倉時代に発達した二重堀を備え、 本郭・西郭・南郭・中郭・東郭・出丸に区分される 中世山城である。 狩野氏は、祖狩野維景(これかげ)が駿河守を退任し、はじめ市内日向に 館を構えたが、その子・狩野維職(これもと)が伊豆押領使を努める等、 軍事上の必要もあり要害の地を選んでこの地に移った。 最初の城主は、2代維職か3代維次(これつぐ)と思われる。 維景から5代の孫・茂光(もちみつ)は、その子・親光(ちかみつ)と 共に源頼朝に従い、治承4年(1180)石橋山の合戦に敗北自刃したが、子孫は 鎌倉、室町両幕府に伊豆を代表する武将として仕えた。 明応2年(1493)からの北条早雲伊豆侵攻の折、城主狩野道一(どういつ)は 足利方に付き戦い、明応7年に敗れて開城した。 その後一族は小田原に移り、後北条氏の重臣として要職を 歴任している。室町時代中頃から絵師として栄えた、狩野派の 初代狩野正信(まさのぶ)は、維景から16代の孫である。 (伊豆市教育委員会の案内板より・絵図も)
駐車場 本柿木農村公園 分岐点
(左)青い車がうちの愛車♪ (真ん中)この奥に分岐点がある。 (右)この道を進むと西側からの見学に。
ゆるやかコースで…
ゆるやかコースで、東側からの見学。 (左)見上げて…。高い! (真ん中)思ったより歩く。 (右)遊歩道から下を。
出丸
(左&真ん中)木が多い。 (右)出丸から。手前の木の遊歩道がある土塁が東郭、正面が 中郭。凄い眺め!
出丸と東郭との堀切
(左)左側が東郭、右側が出丸。 (真ん中)南東側。右側が中郭。大きくて、深い!迫力! (右)北西側。急!
東郭と中郭の堀切
(左)出丸から東郭横の道を進み、
右折れで、中郭との堀切へ。
(右)上がると曲輪…な雰囲気。
でも、東郭と中郭の堀切へ。
(左下)左側が中郭、右側が東郭。
(下真ん中)振り返って。(南東側)
(右下)東郭側から見下ろして。
東郭
(左)堀切を挟んで、中郭側から東郭を見下ろして。 (真ん中)右奥の陽の当たる部分が土塁。 (右)出丸方面。
中郭
(左)東郭との堀切を通って階段を上がり中郭へ。 東郭より中郭の方が小高い。(真ん中)細長い中郭。
右側の土塁は南郭。 まさか、この土塁が南郭とは…(^^;) (右)南東から。写真右奥に見えるのが出丸。
(左)中郭の建物の題目堂に「狩野城跡」と「中郭」のプレートが並んでいた。 (真ん中)素敵な土塁が見られる。
(右)ヒョロ〜ッと細長い狩野城跡の標柱。土塁上には、狩野介茂光公堡壘之跡の碑が立つ。
(左)出丸から中郭を。 (真ん中)中郭から出丸を。よく見える。 (右)本郭から。見え辛いけど、小高くなっている。

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