【久能山東照宮 その1】

・・・久能山東照宮は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

静岡県 久能山東照宮 しずおかけん くのうざんとうしょうぐう
■久能山東照宮=350円(共通券あり)
(※この時は、ロープウェイ(往復)+東照宮+
         博物館=1550円の券を利用した。)
拝観時間=9時〜17時(4/1〜9/30)他は、16時迄。
駐車場=無料駐車場(日本平)  (2007.12.7現在)
住所=静岡市駿河区根古屋390
(この時は、日本平経由) 東名高速道路 清水I.Cを下りて、日本平方面の国道52号へ左へ。 次に、県道338号へ右折し、袖師信号(フェリー乗り場方面へ)を右折。 国道149号を三保方面へ真っすぐ進み、途中で道が国道150号にかわり、 清開三丁目信号で、日本平方面へ右折。 龍華寺信号を県道198号へ左折。少しして、日本平運動公園を右へ。 日本平さくら通りを通って日本平へ。後は、日本平ロープウェイ経由。

久能山東照宮
久能山には、推古天皇の頃(592〜628年)、久能忠仁(ただひと)が 建立したと伝えられた久能寺があり、奈良時代の僧・行基を始め、 静岡茶の始祖といわれる聖一(しょういち)国師など、多くの 名僧が往来し隆盛をきわめた。
下って永禄11年(1568)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を 清水(今の鉄舟寺)に移し、この要害の地に久能城を築いたが、 武田氏の滅亡とともに、徳川氏の領有するところとなった。 徳川家康は、大御所として駿府に在城当時「久能城は駿府城の 本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。
死後、その遺言によりここに葬られ、2代将軍秀忠によって、 社殿が造営された。日光東照宮へは、ここから御霊の一部を 移したといわれている。 権現造り総漆塗り極彩色の社殿は、国の重要文化財に指定 されており、彫刻、模様組物等、桃山時代の文化の面影を残しながら、 江戸初期の特徴をよく表している。その他、神庫、神楽殿、 鼓楼等の建物も重要文化財に指定されている。 (静岡市の案内板より)
ロープウェイから久能山 ロープウェイ・久能山駅 クスノキ
久能山駅横にある石垣は、久能山城の二の丸のもので、 手前に推定樹齢500年のクスノキがある(^^)
ようこそ久能山へ 久能山石碑 景色
12月なのに、きれいな紅葉♪ 高い場所だから色付きも遅いのかな。そして、 眺めもよくて、遠くの山も見えた♪
楼門(外側&内側&表を近付いて)
前面に、後水尾天皇の御親筆「東照大権現」の額が 掲げてあるので、勅額御門とも称する。元和3年の建造である。 (案内板より)
内側から見て左側に、1本の角がある「狛犬」、 右側に、角の無い「獅子」がいる。金色と緑色で存在感たっぷり!
楼門の外側の彫刻を、左から右へ写したもの。 内側も一緒かと思ったら、色も、いる獅子も違う。なぜなんだろう。
真ん中の青い子(これも獅子?)は、門の中も含めると、1番使われてる。 表情は、み〜んな違ってて面白い(^^)
家康公御手形 神厩 久能稲荷神社
手形は、「38歳、身長155cm、体重60kg」の時のものらしい。 神厩の中にいる馬は、左甚五郎作なんだとか(^^)
家康梅 鳥居 鼓楼('07.12/7・工事中)
鼓楼は、以前は鐘楼だったものが、神仏分離令により太鼓に取り替えた為、 鼓楼の名称になったんだとか。
五重塔跡 神饌所&唐門 神饌所&八房梅
■五重塔跡… 3代将軍家光公の建立で、高さ約30m 輪奐美を極めたものである。明治6年、 神仏分離で取り払われ、
現在は、在りし日を偲ぶ礎石を残すのみ。中央の 朝鮮蘇鉄は、駿府城本丸より移植 したもの。(案内板より)
神楽殿 神庫 日枝神社
■日枝神社…御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)。 旧御本地堂で薬師如来を安置してあったが、明治3年、神仏分離の 際に、仏像を廃し後に今の名称に改めた。元和3年の建造。 (案内板より)
 神庫も鮮やかな色なんだけど、逆光で色が…。

・・・久能山東照宮は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

【 静岡のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る