【丹鶴城・新宮城 その1】

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和歌山県 丹鶴城 わかやまけん たんかくじょう
■丹鶴城(新宮城)=見学自由
■丹鶴城公園
駐車場=無料駐車場         (2009.8.1現在)
住所=新宮市新宮7690
三重からの国道42号を速玉大社前信号を左折。 少し先の左側の鬱蒼とした木が見える所が城跡。 車は、冠木門の登城口を過ぎて細い道へ直進し、 少し先の左側が公園入口。急な坂を上がりきると駐車場。

丹鶴城
熊野三山を支配していた9代熊野別当が 別邸を造り、その後丹鶴姫により東端付近に 東仙寺を開山、以後源氏再興の口火を切った。 源新宮十郎行家が山城を築いたともいわれている。 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、熊野地方に君臨していた堀内氏に 替わり、和歌山城主となった浅野幸長(よしなが)の家臣・浅野忠吉が新宮領を与えられ、 慶長6年(1601)に築城を開始。元和元年(1615)の一国一城令で 一旦廃城となるが、同4年、再建を許され、再び築城が始まる。 元和5年(1619)、浅野氏に替わり徳川家康の十男・頼宣が紀州に入国し、 同時に頼宣の付家老として、新宮に水野重仲が入った。 重仲は、忠吉の築城工事を継続し、寛永10年(1633)、城は完成を見る。 以後、明治の廃藩置県により廃城となるまで、紀州藩新宮領支配の 中枢として機能した。

この城は、独立丘陵上にあり、 東の最高所に「本丸」と「天守台」が、 その西方に「鐘ノ丸」と「松ノ丸」が配置される。 本丸の北には「出丸」があり、熊野川の河口、上流方向が見渡せる。 熊野川岸の「水ノ手」には、船着場と一万俵余の炭が収納できる 大規模な炭納屋が設けられ、熊野川流域の備長炭を集積し、 江戸などへ出荷する拠点となっていた。 また、隣接の現在保育園となっている場所は「二ノ丸」といい、 領国支配の行政機関があった。 登城の為の「大手道」は、二ノ丸の北側(市民会館横)に入口があるが、 今は建ち並ぶ民家でふさがれ入ることはできない。 現在地からこの階段をのぼると、途中で元の大手道につながり、 松ノ丸に至る。(案内板より) (右)紀伊国新宮城之図(内閣文庫蔵)
遠景 入口へ 入口付近
(左)熊野川を挟んで国道42号から。 (真ん中)橋の下には線路。電柱の案内の左側に公園入口。 (右)侍屋敷跡?
トンネル 丹鶴城公園入口 丹鶴城公園石碑
(左)新宮城の下を貫通(@@)! (真ん中)結構急な坂を上がると駐車場。 (右)公園の名前には丹鶴城がついてる。
駐車場 石段を上がり… 鐘ノ丸、本丸へ
以前は、坂の入口に縦列でとめている車で、入るのに大変だった 駐車場も、入口付近の駐車禁止の案内板が、
功を奏しているのか、1台もいなくてラクラク駐車♪ そして、駐車場から続く石段を上がって鐘ノ丸&本丸へ。
本丸下 本丸の石垣 本丸へ
(左)写真の左へ行くと鐘ノ丸へ。正面の石段を上がると本丸へ。 (真ん中)櫓風建物はトイレ。 (右)石がコロコロ…。
上に少し上がり… 振り返って 刻印
どんどん上がっていくと、素敵な石垣が見えてくる♪ 刻印は△しか見つけられなかったなぁ(^^;)
本丸虎口
パズルみたいにいろいろな形や大きさの石が積まれていて面白い! (真ん中&右)左の写真の左側&右側。
桝形 本丸東側 井戸
(左)本丸虎口を通って桝形へ。左側の石段を上がると…。 (真ん中)隠れるように石段と井戸があった。(井戸側から。)
本丸
(左)北側。出っ張りから出丸が見える♪ (真ん中)本丸虎口(右側)と南西側に長い部分(左〜虎口後ろ)。 (右)歌碑。
搦手側
搦手側に門跡があったけれど道は無く、 今にも埋もれそうな雰囲気(^^;) 写していないけど、本丸には丹鶴姫之碑も。
天守台
(左)出っ張った部分が天守台。手前の櫓風の建物はトイレ(^^;)  (真ん中)上から。固められてる。
(右)中央右側の小山の向こうの大きな山の左側に神倉神社がある。あちらからもここのトイレが見える。

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