トロとまったり・tripのページ(大内氏館 その2)

南〜南東・土塁と堀跡

【左】南〜南東方面の土塁。
【右】南東側。背後の山並みがよく見えた(^^)

館跡南東部

■館跡南東部の調査成果… ここ館跡の南東部では、屋敷地の東を区画する溝や堀、大きな池をもつ庭園が見つかった。 溝や堀は、時期の異なるものが複数確認されている。これは、大内氏館が何度かの改修を受けたことを示すものである。 大きな池を持つ庭園は、1400年代末に造られ、大内氏が滅亡する1500年代中頃まで使われたと考えられる。 池の北には、台所(かまど)や蔵(セン列建物)があることから、池より北は庭園(ハレ)とは性格の異なる ケの空間であったことがわかる。(案内板より)

建物基壇 // 石組井戸

■石組井戸…石を組んで造られた井戸で、内法の直径は約1.2m、深さは約4mある。 この井戸は池泉庭園と同時期に造られ、1500年代前半に埋め戻された。 この井戸からは、外面に金箔をはった土師器皿が3枚出土した。(案内板より)

池泉

【左】パノラマっぽく加工。

中島のある瓢箪のような形をした池で、大きさは南北約40m、東西約20mある。 池の縁には護岸の為の石が並べられた部分がある。水は土塁上から池へとつながる水路から引き込み、 南西側に排水したものと考えられる。西側の護岸が直線的である事から、 この付近に池を眺める建物があったと考えられる。この池は1400年代末につくられ、 1500年代中頃まで使われた。(案内板より)

セン列建物

※センという字が変換できませんので、カタカナにしています。
池泉庭園と同時期に造られた建物で、地面にはセンを埋め込んでいる。 センとは焼成した煉瓦のことで、この建物には、縦約30cm、横30cm、厚さ約2cmのセンが使われている。 建物の大きさは南北長約4.6m、東西幅は建物がさらに西に広がる為不明である。 中世の遺跡で検出されるセン列建物の多くは蔵であることから、 この建物も大内氏館につくられた蔵の1つと考えられる。(説明板より)

石組かまど

【左】写真奥がセン列建物跡。

池泉庭園と同時期に造られたかまどで、東側から薪などの燃料をくべるつくりになっている。 U字型に石を組んだ燃焼部が2つあり、北側のものは南北約0.8m、東西約1.2m、 南側のものは南北約1m、東西約1.3mの大きさがある。かまど周辺からは調理具等の日用雑器が多く見つかったことから、 この場所は台所と考えられる。(案内板より・絵図も『慕帰絵詞に描かれた「かまど(左手)」』西本願寺提供」)

東側付近

【左上】赤いコーンの所が土橋。
【上真ん中】左上の写真の土塁手前の堀跡。
【右上】板敷の所が水路。写真右側の奥へ延びるのが石組水路。 中央奥が、石組かまど跡やセン列建物跡。
【左】右上の写真の石組水路から北方面を。この時は、案内板通り何もなかった。

北〜北西・土塁と堀跡

【左】北〜北西方面。南側付近の土塁と違って、高くて長いのにビックリした(@@;)
【右】左の写真右奥から(西〜北方面)。

【左】左上の写真の横の道(北側から西方面へ)。道路沿いに長く続くのが凄い!
【真ん中】北側にある土塁の切れ目。
【右】右上の写真を真横から。堀跡と土塁。

西〜南西側

【左】西側〜南西方面の堀跡。こちら側は墓地なので木々で囲まれ、西門や石組溝がある。
【真ん中】西門と堀跡。
【右】石組溝横から西門方面。

枯山水庭園

この庭は水を使わずに石や砂で水の流れを表現する枯山水庭園で、 滝から滝壷に流れ落ちた水が建物の周囲を流れていく様子を表現したものである。 この庭は、1500年代前半頃造られ、1500年代中頃に火災で庭園としての機能を失った。 火災の後に庭石のいくつかは動かされ、また西側の一部は西堀の掘削により壊された。 この庭が造られたころの当主は大内義隆と考えられ、大内氏の文化も最盛期を迎えた。 その為、この庭は華やかな大内文化を今にも伝えるものと言える。 この庭は破壊を受けているものの当時の姿を比較的よく残していることから、 露出して整備することとし、石が抜けた部分には石を補充し、 遺構が全く残っていない西部には土手状に盛土をして植物を植えた。(案内板より)

西門

館跡の西辺の調査で、小規模な門跡が見つかった。この門は地面に穴を掘り、柱を据え付けて、 その両側を石で押さえ安定させるつくりで、地面には砂利が敷かれていた。 この門は、屋敷地内における位置や大きさから考えて、正門ではなく、 屋敷の中の区画を仕切る内門であったと考えられる。 発掘調査で発見されたのは、柱を据える穴と柱を両側から押さえる石と砂利敷きだけだったが、 江戸時代はじめの木割の秘伝書「匠明(しょうめい)」やこの門とほぼ同時期の京都の風景を描いた 「洛中洛外図屏風」などを参考にして当時の姿を復元した。(案内板より)

石組溝(いしぐみみぞ)

西門の並びにある石組溝。

館跡の西辺の調査で石組の溝が見つかった。溝底には水が流れた痕跡が見られたことから、 排水溝と考えられる。この溝はここから少し南で西側に折れ曲がっている。 溝は折れ曲がってしばらく西に行くと、西堀により壊されているので、 この溝が機能していた時期には館の敷地はさらに西側に広がっていたものと考えられる。 この溝は1500年代前半につくられ、北にある西門が造られる際(1500年代中頃)に埋め戻されたようである。 ここでは、発掘調査で見つかった石組溝そのものを展示している。(案内板より)

南南〜西側

【左】南側〜南西方面。写真手前側が山門。
【真ん中】南西側。写真奥が西門、石組溝跡方面。
【右】真ん中の写真の左側(西側)へ続く道。少し広くなっている。

大内氏館 2014.8.31記

龍福寺の境内や土塁、庭園等見所がたくさんあった。 北から北西の土塁が高さはあるし、長くて見ごたえがあってよかった(^^) ちなみに、見学時間はのんびり歩いて約35分(資料館は見学せず)。

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