【猿橋】

山梨県 猿橋 やまなしけん さるはし
■猿橋=見学自由
■猿橋公園(猿橋近隣公園)
駐車場=無料駐車場       (2007.7.30現在)
■日本三大奇橋の1つ(※2通りあるので、4つ。)
 山口県・錦帯橋 、 山梨県・猿橋
 + 栃木県・神橋 or  徳島県・かずら橋
住所=大月市猿橋町猿橋
この時は、国道20号を東へ進み、(猿橋小入口信号からかなり手前の) 猿橋近隣公園、郷土資料館の 看板(この時は、凄く小さくて高い位置にあって、 見づらかった…)に従って左折。その駐車場を利用し、 公園内を通って猿橋へ。

名勝 猿橋
猿橋架橋の始期に付いては定かでないが、諸書によれば 「昔、推古帝の頃(600年頃)百斉の人、志羅呼(しらこ)、 この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」 とあり、その名はあるいは白癬(しらはた)、志耆麻呂(しきまろ)と 様々であるが、これ以外の伝説は見当たらない。 史実の中では、文明19年(1486)2月、聖護院の門跡道興はこの地を過ぎ、 猿橋の高く危うく渓谷の絶佳なるを賞して詩文を残し、過去の架け替えや 伝説にも触れている。 応永33年(1426)武田信長と足利持氏、大永4年(1524)武田信虎と 上杉憲房との合戦の場となった猿橋は、戦略上のようちでもあった。 江戸時代に入り、五街道の制度が確立してから甲州道中の要衝として、 御普請所工事(直轄工事)にて9回の架け替えと、10数回に及ぶ 修理が行われてきた。この間、人々の往来が頻繁となり、文人墨客は この絶景に杖をとめて、多くの作品を今に残している。 昭和7年、付近の大断崖と植生を含めて、猿橋は国の名称指定を受けて、 今に至っている。昭和9年、西方にある新猿橋の完成により、 この橋の官道としての長い生命は終わったが、その後も名勝として 生き続けている。今回の架け替えは、嘉永4年(1851)の出来形帳により 架けられており、江戸時代を通してこの姿や規模であった。 昭和58年着工、昭和59年8月完成、総工費三億八千三百万円である。 橋の長さ、30.9m、橋の幅、3.3m、橋より水際まで30mである。(案内板より)
(左&下真ん中)北側。 (左下)横から。面白い! (右)名勝猿橋碑。 (右下)南側。
濁った川 八ツ沢発電所一号水路橋 橋にも猿
(左)雨が降って水が汚い…。(真ん中)手前が八ツ沢発電所一号水路橋。 奥に見える赤い橋が、国道20号。
猿橋公園(猿橋近隣公園)

(上)猿橋公園(猿橋近隣公園)の案内図。
(右上)駐車場に車を止めて、公園内を通り、 雨で勢いが凄い桂川や
     猿橋溶岩流を見つつ猿橋へ。
(右下)遠く、岩殿城跡がある岩殿山が見えた♪ポコッと見える山が岩殿山。
猿橋溶岩流
今より約6千年前の新富士火山古期溶岩流が、富士山より 延々30km以上を桂川に沿って流下してきた溶岩流の末端部である。 この溶岩は、厚さ約9mの玄武岩からなり、上・下限は岩滓状の 溶岩で、冷却固化した時に中の気発性のガスが逃げた穴が無数に 見られる。溶岩流中心部には、材木を並べたように見える 柱状節理がきれいに発達している。(案内板より)

■猿橋
日本三大奇橋の1つで、他の2つは既に見ているので、最後の1つを見なきゃ!と、 来てみたけど、雨が降った後だから、川の色が濁ってる〜(^^;)猿橋を見るには、 関係なかったからよかったけど(^^)それにしても、奇橋というだけあって、面白い! ちなみに、橋脚が立てられないから、両岸から張り出した肘木によって、橋が支えら れているんだそう!凄い!見に来て良かった〜(^^)

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