えひめけん むらかみすいぐんはくぶつかん
■村上水軍博物館=200円
開館時間=9時〜17時(入館は16時半まで)
休館日=月曜(祝日の場合、翌日)年末年始。
駐車場=無料駐車場
2009/5/1現在
住所=今治市宮窪町宮窪1285番地
この時は、瀬戸内しまなみ海道 大島北I.Cを下りて国道317号を左折〜県道49号を右折。
村上氏は、南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した一族である。 俗に三島村上氏と呼ばれる、能島・来島・因島の三家からなり、互いに強い同族意識を持っていた。 戦国時代になると、村上氏は、その強力な海の武力を背景に、瀬戸内海の広い海峡を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右した。 この後、来島城を本拠とする来島村上氏は早くから守護大名河野氏と結びつき、因島村上氏は大内氏のち毛利氏の有力な水軍となった。 そして、現在の宮窪に本拠を構えた能島村上氏は、3氏の中で最も独立性が高く、特に村上武吉は、どの大名にも巨従せず、独自の姿勢を貫いた。 武吉の時代に全盛期を謳歌する能島村上氏は、西は九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握していた。 戦時には、小早船を巧みに操り、火薬を用いた激闘を得意とした。 その一方で、平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割も果たしたのである。
村上水軍の全盛期が、村上武吉の頃。その村上武吉の長男が元吉で、次男が景親。石像だと、独特な顔つきに…。
小早船とは、村上水軍の起動力として活躍した小型の船。 この船は、日本一の水軍レース大会を目指し、平成2年(1990)に、小佐田哲夫先生(東京大学名誉教授)の監修の下、宮窪町が復元を行った第一号船である。 全長8.4m・幅2mで、長さ6.6mの5丁櫓を搭載している。(制作/伯方島伊方在住 船大工 渡辺忠一氏・案内板より)
【左】2階から1階に垂れ下がった村上水軍の長〜いタペストリー。
【真ん中】暖簾にも♪ちょっと欲しいかも(笑)
【左】室内から能島城。奥に伯方・大島大橋。
【真ん中&右】能島城の模型。右は、角度を変えて、鯛崎島側から。
村上水軍博物館 2009.5.1記
分かりやすい展示なので、子供も大人も楽しめる(^^)
能島城のパンフも貰えるし、村上水軍の幟の棒を挿す部分の布に、護符みたいなものが縫っているという珍しい物が見れたりと、本当によかった♪
ちなみに、石像より肖像画の方が格好よかった(笑)
(写真)きれいな中庭。真ん中の丸の中にも「上」の文字が♪
(別ページで紹介)→
能島城