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福島県 棚倉城 |
■棚倉城(別名=亀ヶ城)=見学自由 ■亀ヶ城公園=入園自由 駐車場=無料駐車場 (2006.4.23現在) |
住所=東白川郡棚倉町大字棚倉字城跡 この時は、国道118号を南へ走り、棚倉トンネルを過ぎて、 2個目の信号を左折。ずっと走って信号を左折。 少しして堀に沿うように右折。右側に南駐車場がある。 |
棚倉城入口 | 本丸東側&内堀&噴水 |
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(左)真ん中の白い建物の向こう側に、追手門跡がある。 (右)そこから本丸東側を。桜と噴水がいい感じ♪ | |
追手門跡 | ||
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元和8年(1622)常陸国古渡から棚倉に入封した丹羽長重は、寛永2年(1625)
この地に鎮座していた近津明神(馬場都々古別神社)を現在の馬場に遷宮して、
その境内地に輪郭式(本丸・二ノ丸・三ノ丸)の平城である棚倉城を築城した。
本丸には大きな土塁を築いて、二ノ丸西側にのみ石垣を用いる等の特徴がある。
長重は寛永4年に白河へ転封となり、白河城の改築も行っている。
長重の父は織田信長の家臣で安土城築城の責任者を務めた丹羽長秀。
棚倉城は関東と東北の境目にあることから、親藩・譜代の大名が治める
城だったが、慶応4年(1868)の戊辰戦争によって城下の一部とともに
焼失。
城の正門である追手門は明治20年(1887)東白川郡役所の建設に伴う盛土で
長く所在が不明になっていたが、平成17年の試掘調査で門の礎石6基が発見され、
位置が判明した。追手門の構造は礎石の配置から、脇戸と脇塀を持つ高麗門
と呼ばれる門であったと想定される。礎石の材料には白河石が利用されていた。
発見された遺構は盛土して保護を図っている。
(棚倉町教育委員会の案内板より・発掘調査の写真も)
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追手門付近の番所(?) | 多目的広場 | 本丸南東の内堀 |
上の追手門跡がある場所にはこんな建物が。番所って事なのかな? その通りを歩くと、きれいな公園があった(^^) | ||
追手枡形門跡 | 石段から本丸東側の土塁へ | 本丸南東の隅櫓跡 |
本丸へ向かうとすぐに、大きな亀ヶ城址碑が迎えてくれて、 その後ろ辺りに追手枡形門跡がある。 | ||
追手枡形門跡を進むと… | 本丸南側の櫓門跡(二重) | 本丸 |
櫓門跡の階段から上へ。こじんまりした会社の従業人っぽい人達が花見中で、写真を撮る自分達をしきりに見ていた。 | ||
本丸南西の隅櫓跡 | 本丸西側土塁 | 本丸北西の隅櫓跡 |
花見中の人から離れ、次はベンチにカップルが。 行き止まりの場所だけに、2度も前を通るのは気まず〜い(^^;) | ||
北二門跡(枡形) | 本丸北側の内堀 | 本丸北側の櫓門跡(二重) |
堀に桜の花びらだまりが出来ていて、きれいだった〜(^^) 桜の季節はやっぱりいい♪ | ||
本丸北東の隅櫓跡(二重) | 本丸南東の隅櫓跡 | |
北側の櫓門跡から上がって、北東の隅櫓跡を…っと思ったら、おばあちゃんと
孫たちのお花見中。 近くで写すのも怪しいので、遠巻きに(笑) その後、下から。1番右は、少し戻って南東の隅櫓跡。 |
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時の鐘ポケットパーク | 城跡ポケットパーク(北門跡&番所跡かな?) | |
少し歩くと、川越の時の鐘をイメージしたシンボルモニュメントや 城跡ポケットパークがあった(^^)ここは北門跡かな? | ||
内堀と本丸北西の隅櫓跡 | |
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左は土塁をメインで、右は桜をメインで(^^)せっかく桜が咲いているから、 こんなアングルもいいかな?なんて。 | |
二の丸 | 突き出した土塁を2つ | 本丸南西の隅櫓跡 |
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(真ん中)土塁がピョコピョコ出ていたから、 2つ写してみたんだけど、分かりづらいな(^^;) | ||
埋門跡方面? | 南門跡方面? | この辺りも二の丸跡かな? |
「この辺りかな〜?」なんて、案内板を照らし合わしつつ…な曖昧な感じなので、 確信は全然ありません(^^;) | ||
棚倉城跡の大ケヤキ | たなちゃん♪ | |
寛永2年(1624)丹羽五郎左エ門長重公が築城する以前からこの地に存在して
いたと言われ、近津明神の社木であり、樹齢は約600年に達するものと推定されている。
この大ケヤキは、県内でも稀に見るケヤキの大木であり、その風格においては
右に出るものはない。
根回りは13m、二個の瘤のある周囲は9.5mであり、樹高は32.3m。
(棚倉町の案内板より)
(右)案内板にいた。可愛い〜(^^) |
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