虎韜門(ことうもん) | ||
---|---|---|
虎韜とは、中国の昔の兵書「六韜三略(りくとうさんりゃく)」の
虎韜(虎の巻)である。この門をこう名付けたのは井伊直政であろう。
ここは、大堀切の西下を守る要点である。古図によれば、この南に
馬出しがあった。(箕郷町の碑より)
(右)虎韜門口駐車場。 (2005.10.9撮影) |
||
白川口埋門 | ||
虎韜門から白川河原に出る秘密の通路で、西部城外への道は
ここ唯一である。
虎口(出入口)の両側に石垣を積み、上に木や石を渡して土手を
その上に盛り、トンネル式に作った門を埋門という。
室田の鷹留城は箕輪城と別城一郭という相互援助の城であった。
この埋門は少数の兵が鷹留城その他との連絡に利用したものであろう。
埋門跡の残っているのは県下にこれ一ヶ所である。
(箕輪城跡保存会の碑より)
(左=2005.10.9、他2枚=2005.11.3撮影) |
||
内宿埋門農地 | 城山福祉センター | 内宿の説明板 |
紅色箕輪城蕎麦栽培。所々で、 箕輪城の跡地を利用して、 蕎麦栽培されている。 |
城内にある町宿(家が集まっているところ) が城の中にあり、すぐに城の守りが出来る。井伊氏の頃は武家屋敷があった。 今の西明屋(にしあきや)字内宿799~870番地(案内板より) (左の写真&下3枚も含め=2005.10.9撮影) | |
内宿 | 内宿から見た箕輪城 | 大手尾根口 |
右に曲がって水の手曲輪へ。 | 水の手曲輪 | |
城で使う大切な水の湧き出していたところである。
周囲の地形が「箕(み)」のような形をしているので、
箕輪の地名もここから起ったという。(箕郷町の碑より)
|
||
榛名口 | ||
■うめロード…
梅種を有効利用した自然に優しい透水性景観舗装。
箕郷特産の「梅」を舗装材料に…。梅製品加工後に残る
梅種を有効利用した「梅ロード」。梅の郷ならではの、
梅香る歩道となった。(箕郷町の案内板より)
|
||
椿の路(右=椿山砦) | ||
ここは椿名尾根につくられた堀切である。 南に見える椿名沼跡(今の小学校のグランド)、 椿山の砦などは、このあたりに茂る椿の木による名であろうか。 (箕郷町の碑より) 椿山砦は、榛名口をもう少し下った左側。 水の手曲輪から歩いて行ったらわかりにくかった~(^^;) (2005.10.9撮影) | ||
本丸堀の橋台 | ||
本丸から蔵屋敷に出る橋の脚を立てた台で、
堀はここで狭くなっている。
南側に石垣が昔のまま残っている。
(箕郷町の碑より)
|
||
発掘調査中だった時の写真も紹介。 (左&真ん中=パノラマっぽく。 右=角度を変えて。) (2005.10.9撮影) | ||
今では、きれいに埋め戻されてる本丸堀。 (左&真ん中=本丸堀。 右=本丸堀の横の道。) (2005.10.9撮影) | ||
蔵屋敷 | ||
2005.10.9の時は、草が凄くて行き方が分からず、
本丸堀の橋台のある道の反対側だから、
四苦八苦しながら登った。 今回は、三の丸から蔵屋敷へ(笑)草も無くてスッキリした状態で、 歩きやすかった~(^^)って、普通こっちから(笑) (左)三の丸から蔵屋敷へ。(真ん中)蔵屋敷。 (右)奥から振り返って。段があるのが分かる。 (2007.11.4撮影) |
||
御前曲輪北堀 | ||
ここでは堀は五つに分かれていた。稲荷曲輪、玉木山、
道仲曲輪の三つの郭が、それぞれくちばし状にここに
集まっている。
三つの郭の間を進むと、新曲輪、丸馬出しに行く事ができる。
(箕郷町の碑より)
|
||
稲荷曲輪 | ||
この郭は、御前曲輪より約70m低く、ほぼ三角形で
東側の堀は水堀であった。西北端の稲荷社のある稲荷山は
櫓台で、御前曲輪の北側の堀を通る道を強力に援護している。
北に虎口(出入口)を開き、南は帯曲輪に連なる。
(箕輪城跡保存会の碑より)
|
||
稲荷曲輪の虎口 | 丸馬出 | |
今回は、とってもきれいになってた! 手前は三日月堀♪ (2007.11.4撮影) |
||
新曲輪 | 玉木山 | 本丸をぐる~っと囲む道を |
(左)2005.11.3は草だらけ。 (真ん中)ここから行くと新曲輪。駐車場有。 (右)外の土塁の方が高い。(2005.10.9撮影) | ||
■箕輪城(1度目…2005.10.9)
|
【 群馬のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |