【左】三の丸の石垣。写真の左奥へ進むと、三の丸方面と本丸方面の分岐がある。
【右】三の丸へ。
■亀居城の刻印…城は、「建てる」とはいわずに「築く」という。 城の威力は建物よりも、石垣の要害に負うところが大きいからである。 その石垣の石に、刻印を付けたものが慶長〜寛永(1603〜1642)の頃の築城に、著しく見受けられる。 刻印の目的は種々考えられるが、亀居城の場合は、石の出荷を厳しく督励するために仕事を請けたグループごとに、 目印のマークを彫りつけさしたものと思われる。 石垣は、花崗岩で築かれているが、山そのものは堆石岩(水成岩=玖珂層群)で出来ている。 この石垣の全ての石が、島や海岸から莫大な労力で、運び上げられたものである。 亀居城の刻印は、42種類、264個が発見されており、このうち広島城の刻印と同型のものが、21種類もある。 このことは、両城とも福島正則が普請したという、1つの証となる。(大竹市教育委員会の案内板より)
【左】三の丸。
【真ん中】三の丸から二の丸を見上げて。
【右】亀居城築城400年記念樹の碑だけど、ついつい写してしまった(笑)
【左】三の丸から有の丸へ。虎口なのかどうなのか分からないけど、それっぽい感じ(^^)
【真ん中】見上げて。
【右】「矢切の渡し」詩碑。つれて〜逃げてよ〜♪
有の丸から三の丸の石垣。
有の丸から見る三の丸の石垣には、「ここにも!ここにも!」って言うくらい刻印があって楽しい♪