ひろしまけん みはらじょう
■三原城(別名=浮城)
■三原駅(天守台=無料。6時半〜22時まで)
駐車場=駅の有料駐車場
2007/12/29現在
住所=三原市城町
この時は、山陽自動車道 尾道I.Cを下りて、国道184号(甲山、御調方面)へ右へ。
三原分かれ信号で、三原方面へ県道55号へ左折。2号バイパスとの交差点を過ぎて、直進し、
ガードをくぐって右へ。駅前のロータリーの有料駐車場へとめた。
【左】写真をクリック→拡大。
三原城は、戦国の武将・毛利元就の三男で、沼田(ぬた)小早川家を継ぎ、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が、 永禄10年(1567)沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで、築いた城である。 天正10年(1582)前後と、慶長元年(1596)頃、偉容を整えたといわれる。 城は、海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時には海に浮かんだように見えるところから、浮城とも呼ばれた。 小早川氏の後、福島氏、浅野氏の支城となり、明治維新後、一時海軍鎮守府用地となったが、沼田川の堆積作用などを理由に変更され、建物・樹木などが競売に付された。 その後、鉄道が本丸を貫き、明治27年(1894)6月には、三原駅が開業した。今では市街化が進み、天守台とそれをめぐる濠、船入跡、船入櫓跡及び本丸中門跡を残すのみである。 (案内板より・絵図も)
【左】駅構内の色つきバージョン。
【右】方角が逆で、上が南なので、船入櫓跡が、駅の左上方にある。
このレリーフは、享和2年(1802)に、旧広島藩士で画家として著名な岡眠山が画いた「絹本著色登覧画図」の一部分の複製。(案内板より)
【右】三原駅のレリーフ。
【左】天守台・西側。
【右】小早川隆景公像。小早川隆景公の像を写すのに、丁度、バス停の待ち客から丸見えだったから、恥ずかしかった〜(^^;)
駅の構内の案内に従って行くと、天守台へ向かうドアがある。 そこから外へ出て階段を上がると、天守台へ到着(^^)
日本一の規模を持つこの天守台は、広島城の天守閣なら6つも入るという広さを持つ。 三原城が造られた1567年より約10年後に信長によって安土城が造られ、 初めて天守台に天守閣が聳えるようになり、以後、全国に流行した。 しかし、この三原城築城の時は、まだ天守閣を造る思想のない時代だったと考えられる。 山城から平城に移行する時代のごく初期の城築である。 この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜く。 しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、 古式の石積形式を400年経た今日まで立派に伝えている。 1707年の大地震では、城内を役夫2万5千人を動員して修理した。 しかし、破損箇所は・・・「元のごとく成りがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、 遂に築きおさめければ・・・」とあるが、これは、東北陵面のことと推測する。(案内板より)
【左】駐車場から構内に入ってすぐに、西側の石垣。
【右】ガード下はアレだけど(^^;)
【右】真横から見ると、とてもきれいな曲線♪
【左】ポコッと見える山は、16世紀の終わりに山名氏が城を構えたといわれる桜山。
【右】工事中で色がバラバラ。